山本太郎:
はい。れいわ新選組代表の山本太郎です。よろしくお願い致します。お忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。座らしていただきます。改めましてよろしくお願い致します。山本太郎です。ここ兵庫県におきまして、次期衆議院選挙の立候補予定者として、今日は発表させていただきたいと思います。
兵庫県は私の故郷でもあります。非常に思い入れのある土地です。で、兵庫県ではこれまで候補者というのを発表できてきませんでしたけれども、こっから先ですね、ま、今日も発表することになりますけども、その先も兵庫県内で候補者を立てていけるような動きになればいいなという風に思っております。で、まず今日ですね、ここ兵庫県内で、兵庫8区、兵庫8区ですね。尼崎になりますけれども。兵庫8区から立候補予定者として手を挙げてくださった方をご紹介したいと思います。お入りいただけますか? 大丈夫ですか? つじ恵(めぐむ)さんです。どうぞお座りください。
弁護士をやられております。で、元職でもあります。駆け出しの弁護士の頃には(薬害)スモンに関わったりとか、他にも留置場内での警察官の暴力であったりとか、他にもTPPの違憲訴訟であったりとか、世の中に対する不条理というものにも、弁護士という立場からも関わってきました。そればかりでなく、現職の議員の時には消費税、これに対する増税であったり、新自由主義といわれるものと徹底的に対峙をされてきた方です。れいわ新選組の中では最年長、最年長の候補者、候補予定者ということになります。それでは、つじ恵のほうから皆様に一言申し上げます。よろしくお願い致します。
つじ恵:
今、ご紹介いただきました、つじ恵でございます。最年長ということで、団塊の世代の真ん中、1948年の生まれです。2003年の選挙で、初めて民主党から衆議院議員に当選をして、2005年の郵政選挙で敗北をして、2009年のマニフェストの政権交代選挙で2期目を当選をしたという経歴です。で、まぁ戦後の、どういうんでしょうかね、保革の共存の政治体制っていうのが成り立ち行かなくなったということで、1990年代から政治改革ということで、小選挙区制の導入とか、様々なチャレンジというか、いうのがなされて、日本の国自体がもうバブルの崩壊の後で、長期の低迷で、続いてるわけでありますけども。うん。それをどう解決するのかということで、90年以降、政治改革という中でいろんな政党が出てきたと。で、2009年には政権交代も実現できたと。しかし、世の中果たして変えることができたのかということを考えた時に、高度成長の、ま、余力ではあると思いますけども、1億総中流といわれる、みんな頑張ればなんとか希望を持ってやっていけそうだっていうような基盤自体が無くなる、無くされてしまった。私はそれは、象徴的には2002年からの小泉政権、小泉・竹中路線と私は思っておりますけども、新自由主義の中で富める者を富めさせる、資本を尊重するという政治の中で、人々が本当にいろんな意味での権利を奪われ、格差と貧困が拡大をしていった。それに対する国民の皆さんの、本当に絶望と新しい政治を求めてるっていう期待が2009年の民主党政権に繋がっただろうと。
私もその一員としてその時、小選挙区で当選をさせていただきました。70%の投票率、7000万人の有権者が投票したと。しかしマニフェストを実現するということについて、財源がないとかいうことで、子ども手当やいろんな経済政策の転換が、企図(きと)したにも関わらず図ることができなかった。今、反緊縮ということで、山本代表もその先頭で主唱(しゅしょう)されておられますけども、世界的に見ても反緊縮、財政出動によって、国民の暮らし、人々の暮らしを豊かにするという政策、そのことの理論的な裏付けというのが当時、私は残念ながら無かったもので、個別の対応で終始して大きな流れを作り出すことができなかった。その結果、民主党総体としては消費税の増税や、結局は官僚制を変えるんだと言いながら官僚主導の政治を追認してしまうような、そういう政治を行ったが故に、人々の本当に不信感を買ってしまった。これはひとり民主党が不信感を買っただけではなくて、政党政治全体に対する不信感いうことだったと思います。
2012年に安倍政権が成立して一強多弱だという風に言われましたけども、自民党の支持率は決して伸びていないと。参議院も衆議院も、全国的に見れば1800万票を前後するような、つまり1億人の有権者の中では6人か7人に1人しか支持をしていない。それなのに自公連立ということで、自公連立でも2500万票くらいなんですね。それが日本の政治を壟断(ろうだん)している、牛耳ってしまってると。その中でますます新自由主義的な政策が満天下してしまい、それだけではありません。嘘をつく、情報は開示をしない、そして私物化、忖度、無責任、そういう政治が本当にますます進んでいます。
2019年の参議院選挙では50%を切ってます。5000万人の有権者しか投票していないと。18歳以上まで有権者が増えたにも関わらず、2009年の政権交代の時と比べて2000万人が投票に行っていないと。そして元々1億人の有権者の中で30%、3000万人の方々は、投票に行くということすら実は保障されないような、生活に必死になってそこまで、ある意味では選挙制度から排除されている人々がたくさんいらっしゃる。で、そういう人たちがどんどんどんどん増えている。それをなんとかしなければいけないということを、私は2003年と2009年、野党と与党の衆議院議員を活動を経験する中で、改めて政治の役割として、当時なし得なかったことをしっかりとやりたいと思い、今回、立候補を予定しているということであります。
山本代表が2019年のれいわ新選組で呼びかけられたこの選挙の手法というのは、本当に国民の皆さんと同じ目線に立って、そして今まで選挙の制度から排除されたり、その人々の声が届かなかったり及ばなかった、そういう人たちに呼びかけてそこから政党政治に対する信頼を取り戻して、日本の再生を図っていこうという方向性。これが今までの既成の政党のあり方や、これまでの政権に向けたいろんな政治活動を新たに転換する、そういう新たな試みだと思います。そういう意味で、私はれいわ新選組に参加をして、山本代表と共に本当に日本の政党政治は正念場であると、危機状態であると、これは皆さんもお感じになってると思います。そういう思いで今回立候補を決意をしたということであります。頑張っていきたいと思います。よろしくお願い致します。
【質疑応答】
山本太郎:
ありがとうございます。つじ恵からでした。こっからですね、皆さんから直接つじ恵、及び山本太郎に対しご質問いただくような形をとっていきたいと思います。どなたかございますか。
記者:
幹事社の神戸新聞のオオシマと申します。よろしくお願い致します。今日、幹事社からまず質問させていただいて、その後、それ以外の記者の方からフリーで質問していただくという形にしていただきたいと思います。まず、山本代表に3点お伺いしたいんですけれども。1点目ですね、冒頭にもありましたが、兵庫県で初の公認の候補という風に理解したらよろしいんでしょうか、の立候補予定者を発表されたわけですけれども、まず選挙区について、なぜ8区だったのかというところについてまず教えていただけますか。
山本太郎:
ありがとうございます。まあ正直いくつか候補はありました。で、その中からつじさんの最終的な決断というところに繋がっていったというところです。
記者:
それから、そしたらその点については、またつじさんに改めて伺いたいと思います。2点目なんですが、山本代表は兵庫県内で街頭で街頭演説をされた際にですね、野党共闘がうまくいけば候補者は立てられないと、うまくいかなければ立てるというようなことを、宝塚だったり加古川だったりでおっしゃってたかと思うんですけれども、今回共産党がですね、候補者の擁立をすでに発表をしています。8区に関しましては。今回、そんな中でつじさんを立てられるということを今日発表されたわけですけれども、これは野党共闘がうまくいかなかったからなのかということを、その背景について教えていただけますか。
山本太郎:
ありがとうございます。2019年に旗揚げをした、春に旗揚げをしたれいわ新選組ですけれども、初めての選挙がその夏の参議院選挙でした。で、その選挙を終えた後、まあ政党となった後ですね、私たちは次期衆議院選挙に関しては消費税、消費税を減税、まあ5%ということですね、消費税減税という旗が掲げられるならば、野党共闘はしていくと。一方でそれが叶わないならば、私たちは独自でやるということを言い続けてきました。
なぜ消費税なのかってことなんですけれども、これは過去、安倍政権が続いた、まあもちろん現在はもう政権が変わってますけれども、まあ中身はほぼ一緒ですね。これまでの自民党政権がここまで生きながらえたというのを理由は何かと(いう)ことを考えれば、やはり私は野党が負け続けている原因には、経済政策というものが一番、経済政策が一番弱かった。経済政策というものがあまりしっかりと打ち出せてなかったっていうところに敗因があるんだろうという風に思ってます。それを考えるならばやはり自民党政権から変われば生活が底上げされる。その一番わかりやすいところとして、誰もが1日に1回は払う消費税というところをやはり旗に戦っていくということが、一番わかりやすいのであろうと。そればかりでなく、実際にこの消費税というものが日本の経済を弱らせ続けた。そらそうです。消費に対して負荷をかけるわけですから。買い物するたびに罰金をかけられるというのが消費税ですから、消費が当然、後退します。結果、この国の経済というのは弱り続けている。その一因として消費税というものはやはり重要な、これは争点になっていくだろうと。それを考えた時にやはり誰にでも通じる、一言でわかる。そういうような政策を掲げた上で人々の生活を底上げし、中小企業など消費税の支払いにも大変な思いをされてるような人たちに対してのメッセージとしても、消費税5%減税というのは絶対的に必要だ、それが最も一番わかりやすいメッセージであろうということで、そういうような野党共闘をするために私たちが必要とするのは、消費税減税という旗が立つか立たないかだということで線引きをしてきました。
で、一方で、この野党共闘がうまくいかないか、ということに関してはまだ決着はついておりません。で、おそらくこの決着というものに関しては、おそらく野党第一党というところの仕切りでなければ決着はつけられないでしょう。当然ですね。圧倒的な数を持ってるわけですから、野党の中では。当然、野党第一党が、政権交代に繋がれば野党第一党の党首が次期総理になるわけですから、当然、そこを仕切っていただくということになっていくと思います。で、先ほど申しました通り、決着はついていません。じゃあ決着がつかないからといって、私たちが候補者を出せないかっつったらそんな馬鹿な話ないですね。決着がついてから候補者を出しますって話になったらもう完全に手遅れですよ。これもう、これまで言ってきたことですけれども、当然、私たちはいつ決着がつく、話し合いがつく、結果が出るということがわからないという状態では前に進めないので、それまでは独自でやるという態勢を進めていく。これは何も変わってないです。私たちは何ひとつ考え方、で、これまで決めてきたことっていうゴールポストは動かしたことがないです。それだけのことですね。
で、8区ということを考えてみると、おそらく公明と共産の戦いみたいなことになってると思います。そこに対して候補者を出すのはいかがなものかということ自体が、おそらくものすごくナンセンスな話ですね、はっきり言ってしまえば。先に手を挙げた人がいるところには立てられないということになったとしたら、多くの政党が多くの選挙区から候補者を下げなきゃいけない状態になるってことです。あくまでも立候補予定者ということで、自分たちが独自でやっていくということを考えた時のためには、候補者を立てていきながらその推移を見守っていき、っていう段取りが必要であろうということですね。で、まあ究極を言うならば、公明党と共産党の二択ということに関して、やはり乗れないという有権者も存在すると思います。そう考えた場合には独自で。万が一、野党の足並みが揃えられないということになった場合にも、それは大変意味のあることだろうという風に思います。
記者:
すいません、もう1点代表に伺いたいんですけれども。冒頭ですね、まぁ今日は8区、つじさんということなんですが、その先も兵庫県内で立てていける動きになればいいなという発言があったかと思うんですが、えーとですね、兵庫県内で今、現状で他に候補者を立てるご予定というのは、計画というのはあるんでしょうか?
山本太郎:
立てたい気持ちはあります。で、立てるならどこがいいかってことも頭の中にはあります。はい。選挙区の数で言うと、選挙区の数で言うとどれくらいか?っつったら3つくらいあります。でもこれに関してはやはり先々のこと、要は立ててしまった以上はなかなか下げづらいということを考えるならば、どんどん立てていくということにはなかなかならないですね。で、私たちの現在の状況を考えるならば、自分たちの現在の資力で立てられる数っていうのはやはり上限がありますね、一定の。で、一方で私たち、ここから先、自前で資金を出す、自前で資金を出すのでれいわから出れないか?という人たちも、リザーブの人たちが数十人いらっしゃいますんで。だから野党共闘が難しい、独自にやりますといった時には、おそらくそういう方々に立っていっていただくという行動に移ると思います。はい。
記者:
わかりました。そしたらつじさんにも数点伺いたいんですけれども。まず先ほど、今回立候補を決意された思いについて伺いました。改めて兵庫8区、先ほど山本代表の方からも、そこはまあ、つじさんの決断という風だったと思うんですが、兵庫8区で立たれる決意をされた動機、動機とですね、あとこの8区との関わりがもしあれば教えていただけますか?
つじ恵:
はい。私は関西生まれの関西育ちだと。で、子どもの頃はまあ東京に対してやっぱり大阪ということで、それなりの対抗意識を持てるような力が関西にはありました。ただ21世紀に入って、私、2003年に衆議院選挙に挑戦を始めたわけですけども、その時点では関西が経済的にもいろんな意味でも地盤沈下してると。それをなんとかしたいという思いが、関西から立候補するということに、私としては大きな動機になっています。
で、今回、兵庫8区ということについては、まぁ山本代表ともご相談をさせていただいて、大阪、京都、兵庫、京阪神で、やはりれいわとしての候補者がやっぱり必要だということもあり、私としてもまったく縁がないところではないということで、兵庫県からということであれば兵庫8区だということに決めたわけです。
私が2003年に当選したのは大阪3区というところで、西成区、大正区、住吉区、住之江区でありますけども、大正区は30%くらいの方が沖縄からの方なんですよね。で、鹿児島からの方も結構いらっしゃる。ある意味、尼崎っていうのは、沖縄の出身者の方も多いし、働く人たちの街でもあるという意味で、私としては何か繋がるものを感じているということがあります。あと知り合いもまあそれなりに尼崎市内の方々がいらっしゃるということもあって、兵庫8区でやってみようという風に決断した、それが理由です。
記者:
すいません、最後にもう1点。今回の選挙でですね、つじさんが訴えたいこと、成し遂げたいことというのと、あと先ほど代表のほうからもありましたけれども、8区に立たれるということは公明党、共産党と、ま、現在でいいますと、それと戦うという構図になりそうだということなんですが、それに対しての受け止めだったり、何か戦略だったりとかありましたら教えてください。
つじ恵:
まあこれまでの選挙からはじかれてる人たちっていうか、選挙に行ってなんとかなるっていう風にも思わないし、目の前の直接の生活とかいうことで、選挙にあまりリアリティを感じないという人たちに、やっぱり声を届けたいということが強い想いとしてあります。
で、それなりに考えた時に2009年の70%の投票、で、2019年は5000万人の、7000万人から2000万人減っているという。じゃあこの2000万人の人たちは何をどう考えてるんだろうかということだと思います。私は、だから中間の方々と、やはりその目がなかなか届かない、想いが政治からその恩恵が届いていない方々に、どれだけのことを政治の言葉として語り得(う)るのか。それが、実は99%の国民みんなに語り得(う)る言葉に繋がるだろうと。だからそこをとにかく自分の言葉として研ぎ澄ましていくということが、勝負の鍵だなという風に考えています。
まあ展望ということから言うと、私は十分あるんではないかという風に感じています。政党間の合従連衡(がっしょうれんこう)で、兵庫8区もどこそこは立てる、どこそこに絞るというようなことになっています。そうではなくて、国民の一人一人の立場から見れば、議会内の政党の何か取引の中で、結局は政治が動いてしまうということについて、もう本当に失望と絶望感を持っておられるんではないかと。
そうではなくて、生の言葉できちっと伝えることによって、大きなうねりを実現することができるんではないかと。
2009年の政権交代選挙の時には、駅頭で毎朝立っていても2人に1人は握手をしてくださっていたということがあります。ものすごく大きな期待を感じました。それがもう完全に今、なくなっている。もう一度、政治に対する期待、政治に対する渇望に応えるような運動、それはれいわ新選組が2019年、これまでの政党とは違う形で新しく切り開いた運動スタイルだと思います。そこに私は勝利の鍵があるという風に考えているものであります。以上です。
記者:
ありがとうございました。すいません、もう1点だけ。これは代表に伺ったほうがいいんですかね。今回の衆院選、今まだお1人目ですけども、こういう候補予定者というのは。兵庫県内での体制ですね。これまで特に、何て言うんでしょう、県の組織みたいなのはなかったかと思うんですけど、どういった体制で臨まれるのかってところを教えていただけますでしょうか。
山本太郎:
ありがとうございます。私たちはどこの地域にも体制といいますか、その、組織というものは存在しません。で、基本的にはボランティアの皆さんが勝手連という形で、それぞれの地域で活動してくださってるという状態です。県連があるような政党ではございません。それを考えるならば、やはりこれまでと同じく、ボランティアの皆さんと力を合わせながらやっていくという形ですね。ただし、その地方に対して組織を作っていかないということですけれども、これは選挙の候補者が立てばそこに支部ができるわけですから、そういったことでその地域に更に、そういう人との繋がりを作っていくということの入口になるってことですね。だから一般的な、一般的な政党と同じような感覚でちょっと捉えられると、なかなか難しいかもしれません。ほとんどはもう組織として回ってるわけですよね。でもそういうものではないってことですね。まあ、そもそもたった2人しか現職の国会議員がいないような政党が、現在で20人を超える立候補予定者を発表してるってこと自体が、普通にないですよね。普通に、自分たちの政党交付金だったりいろんな資力を考えた時点でも、おそらくそういうことっていうのはなかなか考えられないじゃないですか。だから当然、一般的に考えられる自分たちのサイズ感以上の戦いを、次しようとしている段階であるということです。
記者:
わかりました。私からは以上です。
司会:
はい。ありがとうございます。他にご質問いただければと思いますが、いかがでしょうか。
記者:
NHKのハツダといいます。つじさんにお伺いします。つじさんは小沢一郎さんと浅からぬ縁だとは思うんですけども、今回、党は違いますが、立候補するにあたって相談やそういったことはあったんでしょうか。
つじ恵:
いえ、全く相談しておりません。はい。
記者:
党が違うのであれですけど、今後もそういう予定はないでしょうか。
つじ恵:
いやぁ、まあ例えば新年会とかですね、何か催し物がある時には、友人もいらっしゃるし、小沢先生も、久しぶりにご挨拶をしたほうがいいだろうということで伺うことがありますから、そういう折にいろいろアドバイスとか頂戴できればありがたいなという風に思いますけども、今回の決断については、2012年の選挙で落選した以降、ずっと自分なりに政治をどういう風に日本で立て直していくのがいいんだろうかということで、自分なりにいろいろ考え、その間にいろんな方々と相談をさせていただきながら、自分なりに考えをまとめてきたものでありますから、特に小沢先生と相談し、ないしはご助言をいただいて決めたということではありません。
記者:
わかりました。ありがとうございました。
司会:
いかがでしょうか。大丈夫でしょうか。はい。ありがとうございます。ちょうど時間になってますので、では最後、代表から一言お願いします。
山本太郎:
ありがとうございます。お忙しい中、今日はお越しいただいて、お越しいただいてって、皆さんのテリトリーに私たちがお邪魔した話でしたね、申し訳ございません。ありがとうございます、お付き合いいただきまして。
もう本当に今、大変な状況です。緊急事態も解除と言われてますけれども、この緊急事態の解除の意味さえもよくわからないってことですね。解除したところで何か根本的な部分、何か変わるのかっつって何も変わらない。これまでの流れのままだってことですね。要はこのコロナを減らすために緊急事態でみんなの出足を止めて、数が少なくなったらまた緊急事態を解除させて、多くなったらまた緊急事態にしてっていうことの繰り返し。だから根本的な部分を何も改善できていない。その上での本当に無策と言ってもいいような状況、ある意味でこれ、無政府状態ですね。こんな状況が続けば当然、国、崩壊しますよ。多くの人々が倒れていくと思います。おそらく兵庫県内でも多くの中小企業であったりとか生活者、大変な思いをされてる方々が非常に多いと思います。
ここに対して、やはり今の日本をどうしていくかってことを考えた時に、これはもう初期設定からやり直す以外は方法がございません。そのためには当然、経済がへこんだ分、人々に対しての補償であったりということを徹底していく。これには税のみを財源として語ることは、もうほとんど意味がございません。各国がやっている通り、特にアメリカが積極的にやっているような政策、通貨発行、要は国債の発行というものを大胆に行っていきながら、底上げをしていかなければ日本の供給力、守れません。供給能力が当然、守れない、これが毀損(きそん)され続けるということは、国家としてこれはもう衰退し続ける、崩壊に繋がる。下手をすれば、これはコロナによる恐慌にも繋がりかねない話。それくらいの今、本当にシビアな状況にあると思います。この時にこれまでと同じような永田町の論理に乗っかって、プライマリーバランスがどうしたっていうような話から出られないようであるならば、希望はありません。
でも希望はあります。なぜならば、私たちはそれを徹底してやっていくということを約束するからです。たった今、2議席しかないれいわ新選組ですけれども、本気度を見ていただきたい。「もう政治は諦めた」、かなりそういう方々多いと思います。先ほどのつじさんの話からもありました。その民主党政権の一番良い時を知っているつじさん。でも今、それをやはり思い返してみれば、かなり多くの方々が政治から手を引いた、興味がなくなった。そればかりか今、目の前の生活が立ち行かない状態になって政治どころではなくなった。そういう方々に対して、やはりこの国には希望が必要だってことですね。全身全霊で永田町の論理に乗っからず、私たちは突き進むという約束を有権者の皆さんとしていきたい。ここ兵庫県の中ではまずはこの8区というところから、このつじ恵が全身全霊で皆さんのお役に立つためにやっていくというようなことを表明するために、今日はこの場に来させていただきました。どうか皆さん、これからもよろしくお願い致します。というわけでありがとうございました。つじさんから何か一言ありますか。
つじ恵:
どうも今日は機会を設けていただいてありがとうございます。私は弁護士の司法修習の修習地が神戸地裁だったんですね。ですから神戸には1年と8カ月弱、居住をしたという体験があり、その時には尼崎市内も何度かいろいろ訪れたことがあると。そういう意味でもう40年ぶりの尼崎への居住ということになると思いますけども、地元の皆さんに本当にしっかりと訴えて、尼崎から全国を変えるような、そういう新しい政治に対する期待を生み出すために頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします。
山本太郎:
ありがとうございます。つじ恵でした。ありがとうございました。