山本太郎:
連日、本当にありがとうございます。れいわ新選組代表の山本太郎です。いよいよ候補予定者のご紹介も佳境に入って参りましたね。
先日ですね、生産性というもので、人間の価値が図られるような社会になってるというお話をさせていただきました。で、生産性で人の価値がはかられるような社会の先に、何があるかというと「命の選別」ということがおこなわれるであろうと、そのように考えています。今、国会の中を見てみれば、この「命の選別」というものが合法化されていくという流れは、おそらく充分な議論もないまま進んでいくような雰囲気を感じています。非常に危惧しています。本日ご紹介する方は、もうスタンバイできてますかね。ありがとうございます。では、入っていただきます。
秘書:
すいません。入り口、ちょっと1回出ていただいてよろしいでしょうか?
山本太郎:
すいません。座られている方、そこ無理です。一度お立ちください。はい、充分なスペースが必要になります。一度出てくださいね。入れませんよ、それじゃあ、すいません。外に出たほうが早く候補者に会えますよ。
れいわ新選組、立候補予定者・ふなごやすひこさんです。
難病の ALS (筋萎縮性側索硬化症)の当事者であり、全身麻痺ギタリスト、株式会社アース副社長、そのような肩書きを持たれた方です。では、ふなごさんのですね、プロフィール的なものを、私のほうから読まさせていただきます。
お待ちください、今、セッティング中なので、のちほどでもよろしいですか? ありがとうございます。そのような時間を設けて、ということで申し訳ございません。合理的配慮にご協力ください。
では、ふなごやすひこさん 。ALS という病気の当事者です。1957年岐阜県生まれ、9歳より千葉で育ち、現在も千葉県松戸市に在住。大学卒業後はプロ・ミュージシャンを目指すものの商社マンになりました。ダイヤモンドと高級時計を売る会社の企業戦士として、バブル時代を駆け抜け、バブル崩壊後、バブル崩壊後も、年に6億円、6億円台の売り上げを8年連続で叩き出すほどの営業成績をおさめる、非常に優秀な営業マンでした。
しかし、1999年41歳の夏、体の異変を感じるようになります。11歳の娘さんとの腕相撲に負け、歯磨きをしようとした手から歯ブラシが落ち、通勤の鞄が重くてたまらなくなり、マッサージに行っても鍼灸治療院に行っても良くならず、ペットボトルの蓋も開けられない。その年の12月には舌がもつれ、ろれつが回らなくなりました。身体の異変を感じ始めて10ヶ月、ようやく受けた検査の結果、2000年春に ALS と診断されます。
筋萎縮性側索硬化症、略して ALS 。医師はふなごさんに言いました。「体中の筋肉が徐々に弱っていく神経の病気です。原因がわからず、有効な治療法もまだ確立していません。いわゆる難病です。四肢麻痺つまり手足が麻痺し、やがて動けなくなります。舌が動かなくなり、喋ることも、食べることもできなくなります。症状の進み方はさまざまですが、いずれ全身麻痺になることは免れません。自力での呼吸もできなくなります。個人差はありますが、平均3年から4年で絶命します。死因は呼吸筋の麻痺による呼吸不全です。しかし、呼吸器を装着して延命する道があります。選択は患者さんの自由です」
ALS とは難病に指定されている神経の病気です。日本では10万人に5人がこの病気を有し、そのうち2人が発病しているそうです。現在、日本人には約9600人の患者がいるそうです。肉体は麻痺していきますが、精神活動に大きな影響はありません。頭がハッキリしているのに、体が動かなくなっていくのが特徴。2018年に亡くなったスティーブン・ホーキング博士も、21歳で ALS と診断されました。
ふなごさんの呼吸筋も衰え、2001年44歳のときに気管切開をします。この時、ふなごさんは声を失いました。2002年には、噛むことも、飲み込むこともできなくなり、口からの食事ができなくなりました。チューブで流動食を胃に流し込む胃瘻(いろう)を医師に勧められましたが、ふなごさんは、頑なに拒み、断食僧のような日々を送りました。ふなごさんは、この頃のことを短歌にしています。
この病 舌が麻痺して 飯食えず
放っておけば 餓死もあり得て
チューブから 栄養摂取 サイボーグ
我は人なり 手術を拒む
結局、餓死寸前のところで、ふなごさんは胃瘻の手術をしました。そして、この頃、ふなごさんは、気管切開はしたものの、再び慢性的な酸欠状態に陥っていました。酸欠で死ぬのか、人工呼吸器をつけるかの判断が迫っていました。呼吸器は付けない、そう決めていたものの、ふなごさんの決心は、この頃、揺らぎ始めます。きっかけは医師に頼まれて始めたピアサポート。ピアサポートとは、同じ症状や悩みを持つ仲間同士の助け合いのことです。ふなごさんは医師に、新しくALSの告知を受けた人にアドバイスをしてほしいと頼まれたんです。この頃、ふなごさんは、障がい者のために開発されたコンピュータ「伝の心」を使って、文章が書けるようになっていました。指、額、しわなどの動きを拾い上げるセンサーを使って文章を打ち、電子メールをやり取りしたり、それを自動音声にして読み上げることもできるようになっていたのです。ふなごさんは告知を受けたばかりの患者に、「伝の心」を使って話をし、同じ病気や麻痺に苦しむ人々と電子メールを交わすようになりました。ピアサポートという生き甲斐を得たふなごさん、呼吸器を装着して生きる道を選択します。2002年8月のことでした。この頃の葛藤を詠んだ短歌です。
寝たきりの 我に愛しき 妻と子を
守るすべなし 生くことが愛
死を望む 我に生きよと 告ぐる声
廊下に響く 呼吸器の音
指ひとつ 動かぬ我に 生きる意味
ありと覚悟を 決めし日の空
呼吸器をつける前のふなごさんは、「死ぬんだ、家族のために、生き恥をさらさないために絶対に死ぬんだ」とばかり考えていたそうです。しかし、心の奥底には、生きたいという気持ちが渦巻いていました。娘の花嫁姿が見たい、妻とともに年老いたい、親より早く死にたくない、押さえ込んでいたその思いは、ピアサポートという生き甲斐を得、社会の中での居場所を見つけたとき、生存の欲求として火山のように爆発したそうです。入院中だけでもふなごさんは、40名もの患者さんと直接会い、コンピュータを通じて話をしました。
自殺を考え、練炭の使い方をマスターしようとして中毒を起こしてしまった患者さんには、「僕に甘えるのがあなたの務め、遠慮は要りません。」とメールし、以後2年間、その男性は、ふなごさんに弱音を吐き続けたそうです。夜中の2時でも、3時でも、即座にメールの返事が返ってくることに、その男性は「私を救うために命をかけてくれている」と思ったそうです。
ふなごさんの活動はそれだけに留まりません。2002年にメルボルンで開催されたALS/MND国際会議に参加、翌2003年にも、ミラノで開催されたALS/MND国際会議に参加、ALSを発症し人工呼吸器を付けていても飛行機に乗り、海外で国際会議に参加できることを世界に知らしめました。また、コンピュータで講演をし、ミュージシャンとして音楽活動も楽しんでいます。のちほど、全身麻痺でも弾けるギター演奏の映像をご覧いただきます。
現在、ふなごさんは、自宅介護を受けながら、介護関連の会社である株式会社アースの取締役副社長をしています。この会社の介護施設「サボテン」では、末期ガンや難病患者、重度障がい者を受け入れています。介護施設の利用者である、ふなごさんの視点を入れることで、より良い介護ができると、女性社長から抜擢されての就任でした。それだけではありません。14年には、千葉県松戸市の市議選に立候補、落選となりましたが、ふなごさんの挑戦は注目を集めました。
今は、歯で噛むことでパソコンを操り、年10回以上、看護学部、福祉学部のある大学を中心に講義をする他、3年半にわたり福祉業界新聞でコラム担当をしています。ふなごさんは著書「しあわせの王様」で、このように述べています。「私は、ピアサポーターとして生き様を示すことにより、人間、どんな姿になろうとも人生はエンジョイできるということを伝えたいのです。ALS患者の方のみならず、多くの方々に」
そしてこのようにも言っています。
「私はALSになったという、たったひとつのアンラッキーと引き換えに、無限の数のラッキーを手に入れてしまった。これを、しあわせと言わずして、何をしあわせと言うのだろう」
以上が、ふなごやすひこさんのご紹介でした。
ここで皆さんに、少し映像を見ていただきたいと思うんですけれど、スタンバイのほう、よろしいでしょうか? 大丈夫ですか? ちょっと待ってくださいね。これ、今、目の前に見えているのが、ふなごさんが演奏されているギターなんですね。このように、音楽活動もされている。口の中にあるセンサーを使いながらのギター演奏。ありがとうございました。あ、線をですね。どの線でしょうか? その線ですね。ありがとうございます。では、この後ですね、ふなごさんからのお言葉を頂戴したいと思います。スタンバイ終わり次第ですね。少々お待ちください。
ふなごやすひこ:
記者の皆さま、初めまして。全身麻痺ギタリストの、ふなごやすひこと申します。本日のこの時間、どうかよろしくお願いいたします。はじめに山本代表がご紹介くださったように、私は5年前に松戸市議会議員選挙に立候補しました。周囲から見ましたら、ずいぶん無謀な挑戦だと思えたことと想像しています。何ができるのか、どんな政策があるのかと思う人たちも、多かったと思います。障がい者。しかも最重度とされている、人工呼吸器を装着している人間が、立候補する。驚きも驚きであったと思います。
今回も言おうと思ってますが、
スローガンは「強みは障がい者」だから気づけるものがある。
しかしながら、私が目指していたのが、障がい者も健常者もない世界。今は、自説「人間価値論 -命の価値は横一列-」に反映させています。
ところで、今回の参議院議員選挙について申しますと、もし私が当選したなら、私に関わる人たち、つまり議員たちが、私と議会で上手に接していくことや、同じように発言するための工夫をする姿を人々が見れば、街場での人々の障がい者への接し方も、変化が生じる気はします。実際、私が所属するアースでは、役員たちが、どのようにしたら、私参加の会議が、スムーズにできるだろうかと考えてくれてます。
私も山本代表のお話を、直接聞いてみて、この人なら、それを実行して、世の中の障がい者への接し方の手本になると感じ、その一助となるべく、立候補を決断しました。
さて、山本代表がご紹介くださった私の著書(共著)「しあわせの王様」の一節にあるように、私の人生は「わたしは、ALSになった、というたったひとつのアンラッキーと引き換えに、無限の数のラッキーを手に入れてしまった。これをしあわせと言わずとして、なにをしあわせと言うのだろう?」というものであったと思います。いや、もしかしたら「ALS になった」というものも、捉えようによっては、ラッキーなことだったのかもしれません。
「ALSになった」という因が、善い縁をもたらしたという意味において、私にはふたつの善い縁があります。二大善い縁といえるものがあります。
ひとつ目は、私の勤め先・株式会社アース代表、佐塚みさ子との縁です。この縁がもたらしたものは、格別なものがあります。ひとつだけ申しますと、私のバンド「お絹バンド」の活躍の場が、格段に増えたということです。だからこそ、私は、全身麻痺ギタリストと名乗れるのです。先ほどの映像は、難病患者同胞に、自分にも可能性があるという認識を持ってもらえることになるでしょう。
実際に映像を見せ、7月6日土曜日にコンサートをやると伝えた、メキシコの筋ジストロフィー患者バンド、ロス・ビッグ・ボーイズのジョンは、「神は俺たち兵士を地球に使わした。お前は疲れを知らない戦士!ネをあげるな!立ち止まるな!闘い続けろ、愛ある生活と未来を生きるため!神は祝福するだろう。お前とお前の仲間が、この使命を遂行するかぎり。おめでとう」と、メッセージをよこしてきました。
私のギタリストとしてのスローガンは「肉体の動きは止まった!だが、人間の可能性はNo Limit(限界はない)!やれることはある」です。
ふたつ目の善い縁は、「生産性で人の価値がはかられる社会を問題視する」、れいわ新選組・山本太郎代表との縁です。「生産性で人の価値がはかられる社会を問題視する」は、私もまったく同じ意見だったからです。驚きました。
私がALSを発症後4年目、千葉市中央区にある、難病専門の病院に入院をしたときのことでした。今から15年も前のことです。入浴後、机、ベッドデスクの位置がおかしく、直してもらうためにナースコールを鳴らし、看護師を呼びました。来た看護師は直してくれたのですが、まだ位置がおかしく、修正を要請しました。そのときでした。その看護師が、何かをわめきながら机を蹴飛ばしたのです。私は呆然として、彼女を見送りました。当時、私46歳、彼女20代後半。私の倫理観からすると、年長者に年下の者がそのような行為に及ぶことは、あり得ないことだったからです。ショックでした。
また、そのとき住んでいた障がい者養護施設も、入居者に信頼されていた事務長が去ってから、様相が一変。私が退去する2011年11月までには、入居者に、あの難病専門の病院の看護師が、私にした類似の行為を働く介護士が5人までとなり、2013年に市行政の調査が入りました。
そして2016年7月、あの「相模原障害者施設殺傷事件」が起こりました。事件を起こした植松被告は、津久井やまゆり園職員に「重度障がい者は生きていても仕方がないので、安楽死させたほうが良い」と話し、衆院議長宛の手紙に「障がい者は不幸をつくることしかできません」 と書いたと報じられています。この「重度障がい者は生きていても仕方がない」という文節を、「なぜなら」という接続詞でつないだ理由を言えば、「重度障がい者は生きていても仕方がない、なぜなら、生産性のない重度障がい者は生きている価値がないから」となるのではないでしょうか? 障がい者は不幸をつくることしかできない、というところも、つい押して知るべし。同じになると思います。
植松被告の一連の発言を考察すれば、彼が、障がい者、さらには人間の価値を、生産性のみで捉えているということがわかります。いまだ、植松被告と面会している津久井やまゆり園の元職員で、専修大学講師(社会思想史)の西角純志さんは、今なお日本の社会には、優生思想や障がい者差別が色濃く残っています、と語っています。これに私は、前述の経験から大きく頷くものです。
1919年、世界で最初に、人種的差別撤廃提案を国際連盟委員会において主張した日本が、なぜ、障がい者、さらには人間の価値を生産性のみで捉え、優生思想や障がい者差別が色濃い国になったのでしょう? それは戦後、欧米の労働生産性が高いものを尊ぶ文化、金儲けが上手い人を尊敬する風潮が、流入したからだと私は考えます。この、生産性が高いものを尊ぶ風潮が、日本に蔓延している限り、相模原障害者施設殺傷事件のようなことが、再び起こる可能性があります。
なぜなら、あの難病専門の病院の看護師のようなタイプのナース、介護士には、「生産性のない重度障がい者は生きている価値がない」という考えがあるかもしれないからです。
危機感を覚えた私は、教育面から、この考えを芽生えさせないように、この話を不特定の大学でしてきました。これはあまりにも非効率です。ところが、この度、直接、文科省とこれについて話せるかもしれない、千載一遇のチャンスが良い縁からもたらされました。皆様、ありきたりですが、ご清聴ありがとうございました。
山本太郎:
ありがとうございました。ふなごさんからのお言葉でした。というわけで、何かご質問がある方いらっしゃいますか? 何を聞いたらいいか、わからないってとこですかね。ありがとうございます。
記者:
フリーランスのタナカと申します。私も実の母をALSで亡くしました。ものすごい残酷な病気ですよ。これ、よく国会議員に立候補する決断いたしましたね。ちょっと、そのお気持ちをお聞かせください。
山本太郎:
これ、いつもみたいなコミュニケーションが難しいんですね。普段、皆さんがやられているようなコミュニケーションがなかなか難しくですね。 ありがとうございます。
(記者の声:不明瞭)
今、それやっているんですけど、ポンポンとはいかないということが大前提です。それを待っていただくのも、合理的配慮ということですね。以前、省庁と、難病患者との間でのやりとりがあったときに、難病患者側の方々が、このような文字盤を使ったりとか、センサーを使って自分の気持ちを表現しようとしたときに、ちょっと時間がかかったことに対して、省庁側が「時間稼ぎですか?」っていうようなことを言ったようなことも、記憶に新しいと思うんですけど。このような状況をわからずに、勝手に決めていかれる政治というのが、とにかくまずいであろうと。
で、何よりもこれから高齢化社会、加速していく中で、寝たきりという状況は、おそらく多く見られていくと思うんですね。そのときにある意味、この寝たきり状態、その中でも体は動かないが、頭脳明晰であるというような人から学べること、その、言い方はちょっと雑かもしれませんけども、この寝たきり界のトップランナーと言いますか、フロントランナーの方に、やっぱりその知見を、これから日本が向かう将来に、そういった状況が多く増えてくるでしょうから、まさにこの知恵を国会の中に入れるということを、非常に重要じゃないかという風に思っております。
ふなごやすひこ:
私の信条が「人に尽くすから」です。
山本太郎:
最大限やれることをやるという中には、国会議員として活動するということも視野に入れていただいたんじゃないかな、という風に思います。先日の重度障がいをお持ちになってる木村さんもそうですけれども、そういう方々が国会の中に入ることによって、国会の中が合理的配慮の意味を知る、それによっていろんな制度につながっていく、という非常に大きなことだと思ってます。他、ございますか?どうぞ。
記者:
日刊スポーツ・ムラカミです。よろしくお願いします。先日、安倍首相がですね、G20のときに大阪城にエレベーターを造ったことに関して、非常に否定的なことを語った上に、昨日、自らの言ったことを遺憾であるというような発言をされたのはご存じかと思うんですけれども、そういうバリアフリーってところが進む中、その当事者の立場として、一国の首相がそのような発言をした後に釈明するということを、どのようにお考えでしょうか?
ふなごやすひこ:
それは口が滑ったのでしょう。
山本太郎:
愛がありますよね。ふなごさんは本当に。もうすべてのものを包摂するというようなお気持ちなのだと思います。
まあ、総理も悪気がなかったんでしょう。この社会においての、障がいを持つ人、そうでない人、難病を持つ人、そうでない人っていうものが分けられ続けてきたっていうことによる発言、その弊害による発言だと。「悪気はなかった、口が滑ったのでしょう」というところに、つながっていくと思うんですけれども。ありがとうございます。他、ございますか? ではどうぞ。
記者:
山本代表に質問です。候補者選びにあたって、たたかう大人っていうことをキーワードにされていると思います。そして、当事者、問題に直面している当事者っていうものを、ものすごくこだわっているように思います。普通、国会議員っていうのは、問題に直面をしてる人から話を聞いて、自分が代弁するっていうのがオーソドックスの、これ、今までのやり方だったと思います。当事者にこだわる理由は何でしょうか?
山本太郎:
当事者の方々は、私、もう、これ、ある意味でのスペシャリストだと思ってます。で、参議院っていうところはやっぱりその専門性が高いとされる人が、通常はいるようなイメージがあると思うんですけど、私は、まさにその当事者の方々におこなっていただきたいと思うのは、そういうところかと。要は、それぞれの専門性があって、それぞれの当事者であって、で、そのことに関して、当事者として受けた部分の発言もできるし、それだけじゃなくて、制度としてどうなのかという視点からも、お話ができるというのは非常に強いと思います。
もちろん、それぞれの議員さんがフィールドワークをしながら、人々の話をすくいあげ、それを議会の中で提案をしたりとか、議論していくということも非常に重要なんですけれども、この世の中の壊れていく速度を見ている限りは、もう当事者が中に入って、もっとストレートにやり取りをする。で、真摯にそれを 同じ同僚として、議員同士として、受け止めるというものも必要なんじゃないかという風に思ってます。他、ございますか? お願いします。
記者:
NHKのトカノと申します。段取りがわかってなかったら申しわけないんですが、選挙区なのかどちらなのか。選挙区なのか、比例なのか、どのように?
山本太郎:
ありがとうございます。もうすぐ言いますからね、それ。ありがとうございます。ここまで引っ張っといてなんなんだっていう話ですけど。段取り的には、もうちょっと後半でやりたいと思います。他、ございますか? ありがとうございます。
記者:
すいません、毎日新聞のミヤハラと申します。よろしくお願いします。代表にお聞きします。木村さんのときも話がありましたけれども、やはり、選挙戦ということになりますので、どのような形で活動をされようと、ともに活動されようと考えているのか、今の時代、ネットとかもいろいろありますが、というのが1点と、もう1点が出会った流れがどういうものだったのかというのをお聞かせください。
山本太郎:
ありがとうございます。ふなごさんにもドブ板やってもらいますよ、みたいな話じゃないですよ。もちろん当然ですね。そこは、ふなごさんの体調であったりとか、いろんなものを考えながら、極力、負担、体に負担がないような形でしていくと。それは木村さん、先日ご紹介した立候補予定者の木村さんも同じような形です。で、本当に、そのギリギリのところでは、週に1回とか、2回とかでもいいと思ってます、私は。そのような形です。
選挙活動ですよね。例えば、毎日コンスタントにっていうのも、なかなか難しいでしょ。お気持ちはあったとしても。それは、物理的な問題だったりとか、考えたときに。だから、最初に、ふなごさんにお話をさせていただいたときには、そこはもう、ふなごさんの体調であったりとか、いろんなものを考えた上で、少なくて週1回とかでも私は問題ございません、というお話をしました。
出会いですか? ありがとうございます。ALSの患者さんの当事者のご家族の方ですね。で、その方から、その方にご相談したんですね。
要は最近、テレビなどでも、少し安楽死について、少しちょっと、なんだろうな、容認するようなドキュメンタリーのつくられ方だったりっていうのが、非常に気になってたっていう部分もあります。それ以前もそうですけれども。これだけの状況になってきたら、かなり命の選別ってことができるような状況にされてしまわないかと。
誰かの命の選別っていうものが可能になったならば、それ、該当者は全員であるというような世の中になっていくと思うんですね。これに何とかブレーキをかけられないかということを考えたときに、やはりALSの方の存在という部分に光をあてたときに、体は動きませんと。けれども、精神活動はもう充分できる、それだけじゃなくて頭脳も明晰で、副社長という立場で、事業にも関わってらっしゃるっていう方ですから。まさに国会の中でも事業者の立場としても、当事者としての立場としても、いろんな面で貢献できるのではないかということを考えたっていう部分ですね。
あともうひとつ、ご自身で松戸の選挙に、立候補者として出られたっていう部分も、非常に大きいかもしれません。これがまったくの初めてのご経験というところになると、ハードル上がると思うんですけれども、以前にそのような形でやられていたという部分も大きいと思います。
はい、わかりました。それでは次は写真のほうに移っていいですか? 先に写真を撮って、で、ふなごさん退出していただいた後に、この先どうするのかという話をさせていただくという段取りでよろしいでしょうか? ありがとうございます。
※最善を尽くしておりますが、なるべく早く皆さまにお届けすることを優先するため、若干の誤字脱字はご了承ください。
政権とったらすぐやります・今、日本に必要な緊急政策
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参院選は7月21日(日)が投票日です。
既に期日前投票日は始まっています。
東京選挙区の方は、1枚目の黄色い紙に「野原ヨシマサ」と書いてください。
※東京に住んでいない方は、東京在住のご家族・お友達・会社の方・お知り合いに伝えてください。
2枚目の白い紙、比例代表は全国どこからでも投票できます。
比例代表には「れいわ」と書いてください。
ご家族・お友達・会社の方・お知り合いに、一人でも多くこのことを伝えてください。
最高の結果を迎えられるかは、あなたの一票と、さらに勇気ある投票依頼にかかっています。
どうぞよろしくお願いします!!
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