
山本太郎:
ありがとうございます。れいわ新選組代表の山本太郎です。昨日はですね、東京選挙区ということで公認候補者を紹介させていただきましたけれども。今日はですね、比例ということで紹介をして、皆さんにちょっとご紹介をさせていただくというようなお時間を取らせていただきました。で、そもそもれいわ新選組っていうのがどうして旗揚げされるか?ということに関しては理由がいくつかありました。ひとつは30年に及ぶ不況。ある意味でこれ、人為的不況ですね。労働環境を破壊し、一人ひとりの購買力を下げ、そしてそういったことを行なった理由がやはり一部資本家たちに、より利益を与えるためと。他にも税金の取り方を歪める、そういうことを行なってきたわけです。その筆頭格が消費税であると。しかも消費税はですね、景気が悪いときに消費税を上げるような狂った国家はほぼ存在しません。日本だけ。30年の間に何度も消費税を上げることによって、この国の経済が破壊されたってことはもうこれは皆さんご存じの通りだと思います。さまざまな方面で30年、この国が衰退を続けたということで結果、生まれたのは超絶格差であったということですね。そこに対して手当てをするという意識はほぼ国会の中ではないです。はっきり言っちゃえば。それを6年間、最初の任期、私の参議院の任期でそれを私が中で確認をした。その上でやはりこのまま私が政治に関わっていくならば新しい勢力をつくって、ユルッユルダルッダルの国会の中、与野党茶番という中に緊張感を生み出さなきゃいけないということで旗揚げをしたのがれいわ新選組でございます。
で、その立党の精神という部分に繋がっていくというか、旗揚げをしなければならないと思ったことの他の理由もございます。それは何かと言うと、生産性で物事が語られるという社会に大きく変革してしまったってことですね、この国が。大きく変質してしまったってことです。つまり何も生み出さないとされるような者たちは、どんどん命の危機が迫ってくるような国になるんじゃないか?という危機感を持ちました。で、まず私がそれに気づいたのがこの人の発言でした。これ、麻生太郎さん、2016年の発言なんですね。「90になって老後が心配とか訳のわからないことを言っている人がテレビに出ていたけど、お前、いつまで生きているつもりだ。そう思いながら見ていました」って話なんですよ。ま、自分自身はものすごい太い実家で生まれ育ち、そしてどんな状況にあろうとも高度な医療を受けられるというような状況にあるにもかかわらず、一般の方々が本当に将来に不安を感じて生きてらっしゃるってことを嘲笑するような発言なんですね。この言葉を聞いたときに本当にまずい世の中になっていくだろうなと。人間をコストとして扱って、そして自分たちの生産性という定規(物差し)で人間をはかった上で人間の命を切り捨てていくようなことが始まるという風に私は恐怖したわけですね。まぁこの頃からかなり議論としてというよりも政治的話題として上がってきたのが、これは尊厳死であったりとか。他にも安楽死という言葉もだんだん出てくるようなってきたと。

で、先の選挙ではこういった者たちも現れてきました。「若者を潰すな」というような言葉で、若者が苦しんでいるのは高齢者の存在という風に誤解しがち、誤解してしまうようなですね、言説でネット上であったりとか、さまざまなところで発言を続けるという人たちは一定数増えていったわけです。そして国会議員、そして政党の中にもそれが大きくなっていったと。で、これは先の選挙の日本記者クラブで行われた7党の党首討論会での発言なんですけれども。これ国民民主党ですね。「社会保障の保険料を下げるためには我々は高齢者医療、特に終末期医療の見直しにも踏み込みました。尊厳死の法制化を含めて。こういったことも含めて医療給付を抑え、若い人の社会保険料を抑えることが消費を活性化して、次の好循環と賃金上昇を生み出すと思っています」と。本当にこんな狂った発言しちゃうような政治家が一定数、キャスティングボートを握るような存在になっていってしまうというのは本当に恐ろしい話なんですよね。消費を活性化するっつってるけれども、高齢者ということで見てみるならば、これ消費の3割以上握ってますよってことです。しかも高齢者の後ろには誰がいますかっつったら、若い介護従事者もいるだろうし、そして何よりも今の高齢者たちを支えている世代っていうのは40代、50代などのロストジェネレーションなども含まれるってことですよね? ただただ、人気取りのために、高齢者があまりにも優遇されている、それを引っぺがして若い人たちに回すんだという、ある意味での緊縮脳というか、国債発行は絶対に出来ないというようなイメージだったりとか、どこまでいっても資本家の犬しかいない、それが国会であるということを確認するような、この数年の間だったと思います。

とにかく、れいわ新選組を旗揚げした時の思いというのは何かというと、自己責任ということで社会構造をここまで悪化するような状態を政治がつくり上げたのに、自己責任として人々を切り捨てていくようなことが、さらに加速していくってことを絶対に止めなければならないと。そう考えた時にその淵に立たされる人々、つまりは命の期限まで決められるというようなことが起こった際には、まず最初に切り捨てられる人々、この人たちに国会で闘っていただけなければならないという風に思いました。そこで特定枠というものを使って2人の国会議員が誕生したのがれいわ新選組です。まずお一人目、ご紹介したいと思います。舩後さん、よろしくお願いいたします。れいわ新選組の舩後靖彦さん、ありがとうございます。まずは舩後さんのほうからですね、皆さんにメッセージのほうをよろしくお願いをいたします。少しセッティングにお時間いただきます。

舩後靖彦(代読):
代読いたします。皆さま、本日はお集まりくださりありがとうございました。ここから事前に準備した文章をパソコンの音声読み上げで、読み上げます。
━━━━━━━━━━━━━━━
わたくし、れいわ新選組所属の参議院議員、舩後靖彦は、次の参院選に出馬しないことを決めましたので、ここにご報告申し上げます。
2019年、れいわ新選組を結党した山本太郎代表にお声がけいただき、「特定枠」という制度によって、参議院議員になることができました。議員になる前から一貫して訴えてきたのは「命の価値は横一列」、「可能性はノーリミット」ということです。6年間、この信念に基づき、さまざまな政策提案に取り組んでまいりました。この6年間に取り組んだテーマや実績については、別紙参考資料にまとめておりますので、のちほどご覧ください。
次期参院選に立候補をしないと決めた理由は、年齢や体力を考慮し、次の世代に託したいと考えたためです。私は2020年の最初のコロナ感染拡大期に国会内の感染対策への懸念から登院を控えた1週間程度と、今国会の最終盤に体調を崩した2週間程度を除けば、委員会、本会議、視察などの国会日程はほぼ出席し、国内外の出張もおこなってまいりました。これはお調べいただければわかると存じます。一方、働くなかで感じたのは、議員は「超人的に健康で、体力があって、元気な人ばかり」ということです。国会議員は「そういうもの」という固定観念は、「元気で動けなければ役に立たない」という優生思想につながってしまいます。この社会には、望んでいても十分に働けない人が多くいます。ごく一部の「強い男性」しか活動できないのは、国権の最高機関の姿として健全とは思いません。だからこそ、私や木村議員、天畠議員の存在意義を感じ頑張ってまいりましたが、年齢的にも体力的にも、さらに6年間は難しいと考えた次第です。
わたくしと木村議員が就任して以降、ハード面/ソフト面で国会内のバリアフリーが進みました。これにより、こののちに重度障害のある議員が就任した際の道筋になったと自負しております。ご尽力いただきました各党の皆様、参議院事務局の皆様には、この場を借りてお礼申し上げます。
一方、当選来訴えていながら実現にたどり着けず、今でも悔しい思いをしているのが「重度訪問介護等の利用制限撤廃」です。先日、木村議員、てんばた議員とともに、院内集会を開催し、改めて利用を制限している「告示523号の撤廃」を訴えました。院内集会には、れいわ新選組以外にも、自民党、立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党、無所属の国会議員の方々がご来場下さり、当事者からの要望を受け取ってくださいました。ぜひ超党派で実現していただきたいと考えております。なお、この重度訪問介護の利用制限については、創作活動の一環として、楽曲を制作し、ホームページ、YouTubeに公開しておりますので、そちらもご参照ください。
また、参議院議員となって最初の委員会質疑から継続的に取り組んできたのが、特別支援教育からインクルーシブ教育への転換です。合理的配慮やバリアフリー化などの環境整備に関しては、一定進んだと評価できる面もありました。しかし、就学先決定の仕組みを変え、誰もが共に学ぶインクルーシブ教育への制度転換は、国連・障害者権利委員会の勧告にもかかわらず、1ミリも進んでいません。このため子どもの数は減少しているのに、特別支援学校・学級で学ぶ子どもの数が急増し、分離が拡大しているという結果で、忸怩たる思いです。
わたくしはご覧の通り、ALSで人工呼吸器をつけて延命してまいりました。最初に代表から特定枠で参議院議員になることをすすめられたとき、6年間生き続けて、任期をまっとうすることが代表への最大の恩返しになると考えました。果たして、生きてこられてまいりましたことで、恩の一片はお返しできたと考え、今は気が軽くなったところが少々あります。
今後は民間の立場から、「命の価値は横一列」、「可能性はノーリミット」を訴え、活動してまいりたいと思います。改めまして、わたくしを、れいわ新選組をお支えいただいた皆様、本当にありがとうございました。残り僅かですが、任期いっぱい全力で取り組んでまいります。この活動は、終わりはないものと見ています。故に、後続されるみなさんがやりやすくする事がわたくしに課された使命と思っている次第です。失礼いたします。
2025年6月17日
参議院議員 舩後靖彦

━━━━━━━━━━━━━━━
山本太郎:
ありがとうございます。ということで、舩後さんが今期で、この任期いっぱいで勇退をされるということを決定しました。で、ということで、まずはこの件に関してといいますか、マスコミの方でご質問のある方がいらっしゃったらマイク回したいと思います。いかがでしょうか。
記者:
NHKです。よろしくお願いします。舩後先生にお伺いしたいんですが、こちらのコメントでも、「今後は民間の立場から」ということですけれども、本日の発表をもって政界引退という理解でよろしかったかどうか、よろしくお願いいたします。
舩後靖彦(代読):
代読します。「はい」ということです。
山本太郎:
さぁ、他、いかがでしょうか,手挙がってますよ。
記者:
フリーランスの白坂です。舩後議員、6年間大変お疲れさまでした。私からの質問なんですけども、「今後は民間の立場から、命の価値は横1列、可能性はノーリミットを訴え活動して参ります」ということなんですけども、具体的にこういったことをしますっていうことが決まっていれば、よろしかったら教えていただけますか。
舩後靖彦(代読):
代読します。まず、以前のように大学の講義を再開できればと思っています。以上です。
山本太郎:
他、いかがでしょうか。手が挙がってます。
記者:
共同通信です。重度の障害を抱える中で、1期6年を全うされたということですけれども、やはり近年、山本代表も先ほどご指摘になったように優生思想に基づいた凄惨な事件も記憶に新しいところだと思います。こういった社会の状況について一言いただいてもよろしいですか。
舩後靖彦(代読):
代読いたします。優生思想自体はギリシャで2500年前に始まっておりますので、根本的に解決するには先が見えないところにあると感じております。以上です。

山本太郎:
ありがとうございます。まぁ、もう皆さんご理解いただいていることと思いますけど、この合理的配慮。1つ、皆さま、質問していただいたことに対してここでアドリブで答えるってことに関しては一定お時間いただかなければやりとりは難しいってことです。舩後さん自身の自分自身の表現というものに関しては、例えば文書をつくったりとか国会質疑をつくったりっていうのは今のような目の動きであったりまばたきのみならず、歯の奥に入れたセンサーですね、こういったもので自分自身で文章をつくり上げたりとかっていうことを続けてこられた6年間だったんですよ。それだけでも大変な作業だってことは皆さんも想像していただけると思うんですけれど、その中でもさまざまな立法にも関わってきて。で、もう皆さんのお手元にもいってるとは思いますけど、医療的ケア児の支援法であったりとか、障害者のアクセシビリティ・コミュニケーション、その推進法であったりとか、他にも共生社会の実現を推進するための認知症基本法。他にも旧優生保護法の補償金の支給法だったりっていう部分もやはり、舩後さんの存在というものがなければ、やはりこれはしっかりと形になることはなかったんだろうと私たちは思っています。それどころか逆に健常者サイドでこういうものをつくろうとすると、必ず逆に対象者であったりとかに逆に刃(やいば)になってしまうような内容にもなりかねないってことですね。そういった意味で大きな立法に関しても役割を果たすっていう6年間であっただろうと。そして委員会質疑においてもさまざまな全国からの悲鳴というものをですね、実際に国会の場で訴えさせていただき、それを変化させていったという実績も2枚目にございます。聾(ろう)の教育実習生に対する差別的取り扱い事例というものであったりとかここに関して全国調査を実施させてマニュアルの作成をさせたりとか。(海外の)日本人学校で働く教員の待遇改善ですね、これは本当にコロナ禍の中、派遣の見合わせ期間というのがあって、これ負担が自腹になってしまったりとか、とんでもない金額を個人で背負わなきゃいけないということを、「それは国が出すべきだろう」ということで実際にそのようになったりとかですね。高校受験における定員内不合格解消に向けた取り組みであったりとか、本当に挙げだしたら切りが無いというくらいに本当にこの6年間、全力で活動してくださったという風に思っております。まだ、ご質問がある、もちろん、先ほどのような合理的配慮をいただきますが、ご質問されたい方いらっしゃいますか。よろしいでしょうか。ありがとうございます。

舩後さんと初めてお会いしたときに、初対面の私から舩後さんのご自宅にお邪魔したときに「政治家になりませんか?」ってことを直接(笑)、無礼にもいきなり初対面の人間から。何よりも「山本太郎と申します。お会いできないでしょうか?」というようなことから始まり、そして初めてお邪魔したときに「政治家になりませんか?」ってお話をして、「ちょっと時間をください」と、「考えます」ということだったんですけども、その数日後には快諾をいただいた、お答えをいただいたっていうですね。そこから6年経ったんだなぁっていう。まるで昨日のことのように思い出されることなんですけど。もうそこから6年経ったんだな。で、舩後さんという存在が国会に居てくれることということが非常に重要でして、先ほど申し上げたようにさまざまな成果はあるんですけれども、そういった成果がたとえなかったとしても私は舩後さんの存在が国会に居るということ自体がこれはもう世間に対して、そして国会議員たちに対して、で、この永田町という場所に対して常に問題提起をし続けるということだと思ってました。舩後さんが国会に居ることが、永田町で生きてくれることが問題提起であり、それが実践であり制度を変えることに繋がったと。もちろん居るだけではなく、さまざまな活躍をされたということで実績を上げてくださったんですけれども。それに加えて、舩後さんの存在自体が本当に全国の障害を持つ方、そして難病を持つ方、その方々にどれほどの勇気を与えただろうかということだと思います。どんな状況にあったとしても、国会議員という身分になり、そしてその中で変えていくってことも可能なんだってことですね。不可能って思われていたことを可能にした。その生きる姿という部分を全国の方々に、苦しまれている方々に見ていただいて勇気づけたことだろうという風に思います。

何より、私自身が舩後さんの存在ということによって、生きることの恐怖感みたいなものが少し軽減されたようにも思います。本当に生きることってつらいことだし。で、さまざまな、ね、一番ややこしい場所、永田町に来てるわけだから、さらに生きるということに関してのさまざまな重荷を背負っているような感覚に陥ることもあったんですけれども。舩後さんの姿を、舩後さんが毎日のようにこの国会の中で活動してる姿という風…、その姿を見て、やっぱ生きるって何だろうかってことを考えたときに、生きるってことはもう生きて、生きて挑戦し続けるっていうことが生きることの意味であるなぁということを、本当に舩後さんのそばにいて私自身が勉強させてもらったことです。日々、進行する難病ですから、ALSは。日々、体の筋力が衰えていくと、麻痺していくということを考えれば、この議員任期の6年間を走り切るということもひょっとして難しいかもしれないという話もあったんすね。
この任期の最後まで走り切ってくださったということに関して感謝したいです。何よりもこの6年間、れいわ新選組に、そして山本太郎に命をあずけてくださったこと、感謝したいと思います。本当にありがとうございます。この6年間、国会のバリアフリーのみならず、さまざまな政策を前に進めてくださったこと本当にありがとうございます。介助者の皆さんですね。舩後さんが健康体で国会の中で活動をし、国会の中のみならず、プライベートでもしっかりと健康を保つ、これもう普通のことじゃないんですね。普通に施設に入ったりとか普通に自宅で健康を保つということよりも、かなりハードルの高いこと。全く慣れない環境で。で、国会議員のみならずその介助者の方々にまでいろんな細かいルールで縛ろうとする非常に息苦しい職場の中で、この舩後さんの議員活動を全身全霊支えてくださった。舩後さんのサポートに徹してくださった介助者の皆さん、そして秘書の皆さんにも心から感謝いたします。本当にありがとうございます…。

自発呼吸ができないという状態で人工呼吸器をつけて、6年間も…、議員任期を…議員任期全うするっていうのは、おそらく県政史上初で…、人類史上初の偉業とも言えると思います。本当にありがとうございました…。すいません…。一番しんどいときからずっと一緒にやってきた仲間だったんで、そのときのことがフラッシュバックしちゃった…。で、それぞれの人生の時間の使い方っていうのは、やはりそれぞれのやっぱり決定によって行われるべきだと思ってます。そう考えたときに舩後さんの今からやりたいこと、かなりあると思うんですよね。舩後さんはギタリストでもありますから。奥歯の歯に挟んだセンサーでギターも弾くし曲も作るわけですよね。バンド活動もやられてます。それだけじゃなくて先ほど言われた大学の講義っていう部分であったりとか、若い人たちに対して、生きるって何かって、命って何かってことをやっぱり伝える活動っていうこともやられてる方ですし、そして看護であったり介護っていう事業っていうところでも副社長という立場やられてる方ですから。これからもですね、現場の声をれいわ新選組にも聞かせていただいて、で、一緒に力を合わせてこの社会を変えていくっていうこと。国会議員という立場でなくなったとしても、やはり、れいわ立ち上げのメンバーですから。で、れいわ新選組で初めて国会議員になった方ですから。この先もれいわ新選組に対してですね、いろいろご意見をいただいたりとか、それだけじゃなく、さまざまな苦しまれてる方々の声を伝えていただいたりとか。この先もれいわ新選組と共に世の中を変えていくということを、ぜひ一緒にやっていただきたいと思ってます。すいません。

舩後靖彦(代読):
代読いたします。私は拓殖大学の出身者の1人です。その名にある「拓」は、たった1文字で独自性を表しているとのことです。これから民間人の1人として活動するには困難も予想されますが、そこは「拓」の表す独自性で乗り切りたく思っております。自信あります。以上です。
山本太郎:
ありがとうございます。じゃ、ちょっといただいていいですか? ありがとうございます。舩後さんに花束を渡さしてください。まだ終わったわけでも何でもないですけれど(笑)。議員任期はまだ残っていて、そしてこの国会議員という経験をした後にまた新たな人生の幕が開かれると。これからも共にぜひ社会を一緒に変えていってください。ありがとうございます。そして6年間、全力で走っていただいて、ありがとうございました。ありがとうございます。じゃ、写真ここで一旦、よろしければ。


(写真撮影)
ありがとうございます。与野党茶番だってことで、ある意味で永田町で、ある意味で全体を敵に回すような空気もれいわの中にはあるんですけれども。一方で舩後さんはですね、多くの国会議員の方々と交流をされて、れいわの中でも非常に愛されてる方だったんですね。そういった意味で舩後さん的な立ち回りができる方が次の選挙で上がってきてくれるということを本当にこれ期待しなきゃいけないなと。これまでは超党派でさまざまな動きをですね、舩後さんがつくってきてくださったというところがありますので。これはもう議員を引退された後もぜひいろんな超党派の動きみたいなものをまたサポートしていただければと思います。ありがとうございます。ありがとうございます。舩後靖彦さんでした。ありがとうございます。
