【動画&文字起こし全文】木村英子候補(比例代表・特定枠2)記者会見 2019.6.28

山本太郎:
ありがとうございます。れいわ新選組の代表の山本太郎です。連日、この事務所において立候補予定者、発表させていただいております。毎日、呼ぶんだったら、一気にやってくれよと思われる方、いらっしゃると思うんですけれども、いろんな事情がございまして、このような状況になっております。どうかお許しください。

で、ですね、本日、皆さまにご紹介する立候補予定者なんですけれども、昨日は「生きづらさ」という部分を中心に考えていった話だったんですけども、今日はですね、「生産性」という部分です。これも生きづらさにつながっていくんですけど、生産性というもので人間の価値がはかられるというような社会に、もう、既になってると思います。これによって苦しめられる、これによって自分の命を絶ってしまう、そんな方々も、たくさんいると思うんですね。会社の役に立ってんのか?とかですね、ひいては国のために役に立ってんのか、誰かのために役に立ってるのか、みたいな話もよく聞かれますけれども、はっきり言って、こういうような空気が蔓延してる世の中は、はっきり言って、地獄ですよね。

この地獄を何とか止めたいと思ってます。人間は存在するだけで価値があるものだ、という考え方に基づいて政治がおこなわれないならば、その世は地獄である。地獄で、地獄であろうと、まさに、今が、その状況だと考えています。生産性ではなく、いかに、存在しているだけで人間は価値があるかという社会を実現するために、政治があると、そういう考え方のもとに、れいわ新選組は、これから、やっていきたいという風に思ってます。

当事者抜きに、当事者の事を決めるな。当たり前のことですけれども、現在の政治の中ではそれが実現できていない。その中の当事者ともいえる方をご紹介したいと思います。れいわ新選組の4人目、立候補予定者、この方です。木村英子さんです。よろしくお願いいたします。まず、木村英子さんの方から、お話の方をしていただいてよろしいでしょうか? マイクございますか? ちょっと待ってくださいね、今、セッティング致します。

木村英子:
初めまして、木村英子と言います。よろしくお願いします。これからちょっと、あらかじめ用意したものを読みます。途中、声が出なくなることもあるので、お水を飲みますが、ご了承ください。

太郎さんとの出会いは、3年ぐらい前のことです。とても印象に残っているのは、「太郎’sネットワーク」の総会に参加した時に、太郎さんの掲げた公約の中に、障がい者政策がなかったので、「ぜひ入れて欲しい」と発言したら、「ここにいる皆んなの前で、障がい者政策を必ず入れていくことを約束します」と断言して、言ってくださったことが、とても心に残っています。

本来、私は、養護学校高等部を卒業したら、施設に入れられてしまう存在でした。生後8ヶ月の時に障がいを持ち、幼い頃から施設と養護学校で生活し、19歳で地域に出るまで、社会を知らずに育ちました。同い年の健常者の友達ができたのは、地域に出てきてからです。一生、施設で生かされ、死ぬまで出ることはできないと、ずっと思っていました。

なのに、今、こうして参院選で立候補して、記者の皆さんの前でお話するなんて、自分でもとても信じられません。私の同級生の仲間の障がい者たちは、皆んな今、施設にいます。小さい頃からですから、施設に50年もいる人もいます。私たち重度障がい者にとって、親が介護ができなくなれば施設に入れられ、一生そこで終わってしまうことが当たり前の道筋なのです。障がい者は、施設に入りたくて入っているわけではありません。そこしか行き場がないのです。施設で育った私が、社会を全く知らず、地域で自立生活をすることは雲の上の夢でした。でも、施設での生活は自由がなく管理され、時に虐待を受ける、そんな生活に耐えられずに、すでに自立で、地域で自立して暮らしている先輩の障がい者たちに助けられ、19歳で地域生活を(東京都)国立市で始めました。

その時、奇跡を感じましたが、こうしてここにいることも私にとってはとても大きな奇跡です。その奇跡を作ってくれたのは、今ここにいる山本太郎さんです。私が立候補した理由は、障がい者運動を続けていくなら、政治に参加して戦っていこうと思ったからです。今まで障がい者の仲間とともに、地域で生きるための介護保障制度を行政に対して運動していくことこそが、私の生活そのものでした。私は地域に出て、健常者の人と同じように、ただ普通の女性として当たり前に生きていきたかっただけなのに、地域に出た途端、障がい者の介護保障運動をしなければ生きていけないことを思い知りました。

地域で生きていく以上、死ぬまで運動していくことが、今の私の現実です。私は日頃、障がい者の仲間たちと運動をしています。その状況を少しお話します。2003年に措置から契約制度に変わってから、ヘルパー派遣についても行政は責任を放棄し、民間に投げてしまいました。さらに障害(者)福祉制度と介護保険を統合しようとしている国の動きの中で、地域で暮らしている障がい者の生活は、壊されようとしています。

障がい福祉で必要な介護時間を保障してもらっていた一人暮らしの障がい者が、65歳になった途端に介護保険に組み込まれ、介護時間を減らされて、外出も出来なくなり、お風呂にも入れなくなりました。自分でベッドに移動できないので、ずっと座椅子の上で寝るしかなく、褥瘡(じょくそう)ができたり、ヘルパーが1日1時間しか来ないので、食事も1回しか食べられない、そんな状況の人がいます。全国的に人手不足ですが、介護職という重労働で安い賃金のところにはさらに人は集まらず、せっかく命がけで施設を飛び出し自立生活をしても、介護事業所から、人手がないという理由で、お盆や暮れはショートステイで施設に入れられてしまうといった始末です。そんな厳しい現状の人がどんどん増えています。障がい者は65歳になった途端、障がい者ではなくなり、高齢者の枠に入り、今まで受けてきた介護制度を減らされて、命を脅かされています。障がい者はひとりひとり、障がいが違います。介護の方法もまったく違います。

65歳になるまで自分に合った必要な介護を受けてきた人が、65歳になった途端に減らされ、命の危険に晒されている生活を強いられています。行政は地域移行を掲げていますが、障がい者の生活を壊し、施設に逆戻りさせてしまう、そんな政策は明らかな人権侵害であり、あからさまな差別です。 

立候補させていただいた理由は、障がい者運動をしていく中で山本太郎さんと出会い、太郎さんから「障がいを持った当事者の現状を、直接、国会に訴えていって欲しい。一緒に戦っていきましょう」と声を掛けていただいたからです。私のような重度障がい者が国会に声を届けるチャンスを、太郎さんからいただいて、今回、立候補させてもらうことを決意しました 。厳しい現状を強いられている仲間たちの、苦悩と叫びを、私が、障がい当事者として政治に参加し、少しでも変えていくことができたらと思っています。

障がい者は、障がいを持った時点から、教育の場面でも、働くところからも、住む場所も、遊ぶ場所も、どこでも分けられてしまいます。そのことで街の中のバリアや、人の心のバリアも広がっていきます。分けられれば分けられるほど差別はひどくなっていくばかりです。それは、私にとっても、とても生きにくい社会です。そして誰にとっても生きにくい社会のはずです。小さい時から共に育ち、学び、遊び、支え合って生きる社会は、差別のない誰もが生きやすい社会になると信じて、戦っていきたいと思っています。 以上です 。

山本太郎:
ありがとうございます。木村英子さんからのご自身のお言葉でした。マスコミの方から何かございますか、媒体名と、お名前を教えていただければと思うんですけども、質問浮かびませんか? すいません、じゃあどうぞ。ありがとうございます。

質問者:
フリーライターのカタダと申します、よろしくお願いします。木村さんにまずお伺いしたいんですけども、これまでその障がい者の方々の社会運動であるとか、政治への働きかけっていうのは全くなかったわけではないとは思うんですけども。木村さんご自身が今回選挙を通じて、あるいは当選された後に政治に関わっていく、その活動というのは、これまで障がい者の方々が積み重ねてこられた活動であるとか運動とはどういった点が違うっていう風に、ご自分では感じて、今、いらっしゃいますでしょうか?

木村英子:
私のあの現状を、訴えるという意味ではそんなに変わらないと思います。ただ場所がですね、えっと市町村とかの行政に対してだけではなく、国会のたくさんの議員さんの前で、あの、私の存在と私の状況を知ってもらう、ということで、あの国会の中のバリアとかですね、無くなっていったら良いなっていう風に思っています。

山本太郎:
他ございますか? そちらの方そのまま手を挙げておいてください。マイクフォローさせて頂きますので。

記者:
スポーツ報知のヒグチと申します。まず患ってられる病名は何かというのをお聞きしたいというのと、あと実際、選挙戦での選挙活動、演説とかされるのかどうかをお伺いしたい。ご本人にお伺いしたいというのと、山本さんにお伺いしたいんですけれども、もし当選した場合ですね、あの国会参院の、国会の中に、何というんですか、入るスペースというか席とかが、今の段階だとあまりないのかなと思うんですけれども、そういったところとかも変えていくおつもりはあるのかということをお伺いしたいんですけども。あと、すみません、もう1点。全国比例とかで出るのか選挙区で出るのか、どこから出るのかということも合わせてお願いします。

木村英子:
私は生後8ヶ月の時に歩行器ごと玄関へ落ちて首の骨を損傷してしまっての障がいと、それから小さい時からということもあるので脳性麻痺も持っております。で、演説をするかっていう質問なんですけれど、私も初めてで、ちょっと分からないので、太郎さんの方からいいですか?

山本太郎:
ありがとうございます。今、ご心配いただいたのが、もし重度障がいの方が国会の中に入られた場合、国会の受け入れ態勢ってものがそもそも出来ていないじゃないかってことですね。例えば議席。座る所ってことを考えてみても、車椅子が入るっていうような造りになっていない。それだけじゃなくて、例えば介助者が入らなければならないとかっていう事は現在、許されてませんね。どうしてですかって事なんですよ。おかしくないですかって事なんです。700人以上国会議員がいながら、どうして当事者が1人も入ってないんですかってことなんです。これがすべてです。これがすべてです。

で、木村英子さんご自身は、これまでも院内交渉とか省庁に対する交渉っていう場でも、私、ご一緒したことあるんですけども、かなり攻めの姿勢で、理路整然と官僚達とやりあうという方なんですよ。で、そういうような当事者でありながら、そういう自分たちの仲間、発語が出来ない方だったり色んな方の代弁をなさってる方だということで、私はぜひ一緒にやりたいと、ずっと何年も前から思ってたっていう部分があります。で、何よりも、そういう方じゃなかったとしても、木村英子さんみたいな理路整然と問題点をしっかりと相手側に突きつけるっていう、例えばそういう才能がなかったとしても、私は、当事者は入るべきだと。なぜならば当事者抜きで、当事者の事決めてるんでしょってことなんです。おかしくないですかって。どうしてそんなこと決められるんですかって事なんですよね。

じゃあ何よりもまず、国会内がバリアフリーであるべきだろっていう事もあるし。で、これまで国がやってきたバリアフリーっていうのは全くバリアフリーでもなんでもなくて、バリアの中に閉じ込める施策だったんだって事を、私は木村さんからも教えていただいたと。

企業側の利害関係者、代弁者は山程いるのに。特に与党側なんです。そうですよね。けれどもどうして、多くの方々が苦しんでる状態の、その側に立つ当事者が1人もいないんだっていう、おかしな話なんですよね。だからこれは皆んなで勝ち取っていかなきゃならないって事だと思います。国会がどんな人に対しても敏感に反応できる場所であるべきだと。そのためには、やはり木村さんのお力、私は国会には必要だという風に思ってます。

で、選挙区か比例かって話なんですけど、これまでの流れの通りですね。またそれも発表できない状態です。まだ、何でしょうね。全員揃った上で、1番力を出せるのは何なのかって事を決定していきたいって事です。で、演説についてなんですけども、やはりここはご本人の体調というところも、やっぱり考えなければならないと。国会の中もそうだし、国会の外もそうだし、合理的配慮という事を皆んなで考えていきながら進めていくという。まさにこの選挙をやりながら、これはそれぞれの運動、障がい者の運動でもあり、それぞれの運動であるって事を実践していけるのが、れいわ新選組であったらいいなという風に思ってます。他ございますか?じゃあ、ありがとうございます。

記者:
木村さんに2点お伺いいたします。ひとつは、あ、フリーのカタダです。度々すみません。ひとつは、これまでというか、今、おこなわれている、障がい者に対する施策であるとか、行政の中で改めなければいけないという、これは本当にひどいっていうようなものがあれば挙げていただきたい。で、他に、もしあればですけれども、最近とらえた施策の中でこれは良かったなっていうようなものがあれば伺いたいというのがひとつです。で、もうひとつは、立候補に、ごめんなさい、候補者になるにあたって、山本代表とは色んなお話をされたかと思うんですが、あえてその政治の道に出ていこうと決断された、決め手になった山本代表のお言葉みたいなことがあれば伺いたいと思います。以上2点です。

木村英子:
はい。最初は何でしたっけ、施策でひどいものですね。どれもひどいんですけど、やっぱり、介護保険に障がい者政策が統合されていくっていう流れが、年々酷くなっていまして。やっぱり介護時間を減らされたりとか、特に介護保険事業所さんから派遣されてくるヘルパーさんは、なかなか、高齢者の方を対象なので。しかも、資格を取るにあたって、マニュアルが高齢者中心のマニュアルの試験内容になってますから。障がい者ひとりひとりの障がいに合わせた介護っていうのが、なかなか出来なかったりとかですね。あと、自立生活を施設から飛び出してきて、した人たちは、命をかけて出てきて、昔はその街頭でビラを撒いたり、大学等でビラを撒いてですね、介護者を見つけてきたんですけど、そういった苦労をして生活を地域に移しても、介護保険に統合されてしまうと、地域で生きれなくなって施設に追いやられてしまうという現状が、非常に毎日不安です。実際に、そのさっきも言いましたが、お盆とか暮れにはですね、介護者が足りない、人手が足りないとかという理由で、ショートステイで施設に入れられてしまう人も出てきてますし。そういう意味では施設が嫌で出てきているのに、そういう所に入れられるっていうのは、恐怖を抱いている人がたくさんいると思います。

で、良い点ですよね。良い点は、そうですね、あまり見当たらないのですが。ただ、(障害者)差別解消法が施行されて、少しずつ障がい者の人を理解しようという自治体も増えてきて、お店とかそういうところのバリアフリーに少しずつなってきたなっていうのは、とても助かるなって思います。交通機関も、電車ではスロープを出していただいたりとかしてますし、そういうハードな面は少しずつ良くなっているとは思いますけど、やっぱり精神的な心のバリアですね。心のバリアっていうのは、なかなか健常者の人と障がい者の人の間には取れないなっていう想いを、ずっと思っています。

やっぱりそれは、普段の生活の中に障がい者の人たちが、少ないっていうこともありますし、もちろん施設にいる方が多いってのもありますけど、もちろん在宅の方もいますし、でもなかなか外に出られない、社会のバリアが多くてですね。そういう状況の中で、もっと小さい時から、一緒に生活ができていれば、もっとこう、珍しいものではなくて一緒に、当たり前に色んなところに行ったり、生活を共にしたりということが自然になっていくことが一番良いことじゃないかなって思うので。そういった心のバリアを、少しでも、無くしていけたらなっていう風に思っています。

あと3点目、何でした? 立候補の決め手となった、何でしたっけ。ああ、そうですね。障がい者の人たちは、みんな体は結構きついですから、障がいが重くて。生活を介護者の人とすることも精一杯だったりします。で、その精一杯なのに行政に働きかけしてかなきゃいけないっていう日常を抱えているので。障がい、私はかなり重度の障がいなので、本当に、今、喋ることしかできないんですね。あとは、ほとんど介護を受けます。水を飲むことから始まって、トイレとか、お風呂とか、すべてに介護が必要なんです。で、そういう中で、どなたかが、障がいを持ってる人が、やっぱり国会に出ることによって、少しでも地域社会が変わっていけたらなって、いつも思っていますけど、なかなか自分からっていうのは難しいと思うので。今回は、出ようと思った強い気持ちは、やっぱり、太郎さんからお誘いを受けて、真剣に障がい者の人と歩調を合わせてですね、国会に行って運動していこうっていうか、そういう気持ちが強いですね。やっぱり、私のような重度の障がい者に歩調を合わせてくれる健常者の人って、なかなか少ないと思うんですよね。で、そういった中で、やっぱ、私は政治の世界は何も分かりませんし、本当にできることといったら自分の体をもって、障がいを、障がい者に対する政策を、少しでも変えてもらいたいっていう、その想いひとつなので、それが実現できるなら、自分の、私が出馬して何かできることがないかという覚悟で出ました。

山本太郎:
ありがとうございました。他にございますか。ではそちらのメガネをかけた男性。

記者:
すみません。毎日新聞のミヤハラと申します。よろしくお願いします。先ほどですね、運動をされていたということや、省庁との交渉等もされたということをおっしゃってましたけれども、これまで具体的にどういう事を交渉で求めていって、その結果、どういった結果が得られたか、あるいは、得られなかったかというのを、少し具体的にお聞きできればというのと、先ほど、あの、喋ることしかということもおっしゃってましたが。すいません。首を折られてというのと、あと脳性麻痺ということで、症状としては体のどの部位が動かないとか、そういったことも少し伺えればと思います。

木村英子:
すみません。私はメモができないので、すみません。1個ずつ答えていいですか? 1個答えたら、また次、また聞いちゃうのでいいですか? 最初は、そうですね、交渉で何をやって来たかってことですよね。今、介護保険の話はしましたが、障がい者の人の入院時の派遣についても、交渉してきました。で、入院時の派遣というのは、今、障害程度区分6の人は入院時に介護者を付き添いとして、つけていいという法律になっておりますが、やはり、各自治体で、介護、介護者をつけることについて、認めてる地域と認めてない地域ってのはあるんですね。でも、障がい者にとって介護者ってのは命綱で、とても側にいなきゃいけないパートナーなんですね。介護者がいなければ、本当に水も飲めないので死んでしまいますし、その介護者がいないと入院もできないんです。入院したら看護師さんたちは、看護をおこなってくれますが、看護の領域だけでは、例えば突然に、入院って突然するわけですから、私の体の足をどういう風に曲げていいかとか、どこにクッションを入れたらいいかとか、そういう細かいことは全然分からないんですね。でも首がちょっと倒れただけでも、めまいを起こしたりとか、足が痛くなったりとか、そういうことが起こりますので、介護者がいないと特別な、私に特化した介護ってのはできません。で、そういう事情がどの障がい者の人もありますから。そこで市町村に行ってですね、入院時の派遣を認めてもらえるように交渉したり、あるいは病院側の人とお話をさせてもらったりとか、そういう形でやってまして、まだいっぱい交渉の内容はありますけれど、今やってることは入院時の派遣についてやっていまして、もちろん認めてくれた自治体もありますし、今でもダメだっていう自治体もありますし、そんな感じです。

で、もうひとつ何でしたっけ? 障がいのですか? 先程、首が折られたとか。首は折れてないです。すいません。えーと、症状はどんな状態っていうのは、どういう? 例えば痛みとかですか? どこも動かないんですよね。歩けもしませんし、足を伸ばすことも出来ませんし。実は選挙活動をもしするとしたら、私、手の拘縮(こうしゅく)があって、「どうやって手を振ったらいいんでしょうかね、太郎さん」って聞いたんです。選挙の時にね。もし私がするとしたら。でもそれもちょっと、万歳三唱も多分、出来ないだろうしっていう。そんな感じで、あまりどこも動きません。喋れるだけです。そうですね、体の痛みはやっぱりありますね。やっぱり動けないですから、いろんなところが固まってしまうので、寝てる時とかは、夜は寝返りとか打てませんから。やっぱり介護者が常に、あのなんだろう、2時間置きとか、30分の時もあるんですけど、体を動かして体位を整えてもらったりしています。

山本太郎:
ありがとうございます。他にございますか? ありがとうございます。いま手を挙げといてください、そのまま。ありがとうございます。

記者:
すみません。フライデーの記者のイワサキと申します。少し勉強不足の面もあるんですけども、これまで投票というのは行けたのかというのと、お話しか出来ない、メモが書けないという事だったんですけども、ご自分のお名前も書けないわけですよね? 今回、ご自分に投票は出来るのか? というところをちょっとお尋ね出来ればと思います。

木村英子:
えーとですね、若い時は字は書けましたけれども、年々、障がいが重くなっているので、今の電動車椅子のコントロールボックスを動かすぐらいしかできなくて。で、選挙の時は、何でしたっけ? 選挙管理委員会の人に代筆をお願いしてですね、いつもは、やっています。よろしいですか?

山本太郎:
他、ございますか? ではどうぞ。ちょっと待ってくださいね、はい。

記者:
フリーランスの田中龍作と申します。山本代表にお伺い致します。木村さんと初めて出会われたのは何年前かというのと、木村さんを擁立しようと考え始めたのはいつ頃からか。最後に、玉城、沖縄の玉城(デニー)知事がですね、1人も取り残さない政治(※「誰一人も取り残さない社会」)って言って、県知事選を戦いました。これは、木村さんを擁立ってのは、それの進化系のように私は思えるんですが、それはどうでしょうか?

山本太郎:
ありがとうございます。あれは何年やったんやろな? ええっとですね、木村英子さんのお友達のグループといいますか、障がいを持った方々のグループの中にですね、私に直接、連絡をしてくださった方がいらっしゃるんですよ。で、その方は、ご自身では発語をなさらない、文字盤を通してとか、というような感じでやり取りされる方で。で、おそらく代筆をされた方がいらっしゃって、お手紙をくださったんですね。おそらくそれ、2013年、当選した後だったんですよ。内容はどんなことだったかといいますと、選挙の時に「力を貸してください」って太郎さん言ってました、と。「私に力を貸してください」って皆さんに演説してましたと。私はあなたに力を貸しました。で、「次はあなたが力を貸してくれる番です」っていうメールが来て。で、あの、実際にそこからお会いしていくような形になっていったと思うんですよね。おそらくそれが、先程、木村さんの方から言われていた、私の講演会みたいなところでお会いしたのが最初だということのようでしたけども。ごめんなさい。私自身は、最初にいつお会いしたのかってことは、ちょっと失念してしまってます。

なぜならば、その後にですね、厚生労働省と、厚生労働省との交渉で会ったりとかっていう数の方が多すぎて、初めの方を忘れてしまってる状況なんですよね。でもその中でも、例えばですけど。あれは、委員会質疑ですね。委員会質疑を皆さんで傍聴にいらっしゃるということをですね、少し委員会が始まる、委員会が開催される1週間前くらいから。おそらく後見人制度か、もちろん、障がい持たれた方々にも関係のする、後見人制度の審議を、委員会をみんなで見に、実際に聴きたいんだというお話になって。で、どれくらいになりますかね、その数って話をした時に、おそらく車椅子が20台近く、みたいな話になって。それ、無理だろうと思ったんすよ、まず。私は。20台入れる部屋じゃないしって。いつもやってる委員会審議の部屋ですね。や、これ、もうちょっと、台数、何とかならないですかって話をしたら、「そうじゃない」と 。私たちに関わる法律、法案、法律化されるものに対して、当事者がその場の審議っていう部分を聴くっていう時には、やはり、そりゃ配慮が必要だと。 同じ部屋でやるのではなくて、当事者たちが入れるという部屋を交渉してもらいたいってことですね。

で、そこで私ちょっと、ハッとしたんですよ。何かっていうと、自分は完全に、永田町の普段の論理の中でしか、物事を考えられてなかったということですね。その話を聞いた時に、なるほどと。そらそうだと。で、そこから交渉をしていって、もちろん委員部であったりとか、これは与野党関係なく先生方が動いてくださって、普段やってない委員会、普段、普段の委員会やってる部屋ではない、そこの3倍くらい大きい部屋を用意してくださって、皆さん来てくださったっていう。だから、障がいというものを抱えながらも普通に、普通の人たちと同じように生活ができるということを、身の回りのことから。で、あと、政治の場にも、ウィングを広げながら、運動をずっとなさってきた方っていう 考え、私としては、印象なんですよね。

いつ頃から木村さん、一緒にやりたいなと思ったのは、そういう事を色々勉強させていただいた私の中で先生ですよね。私の全く知らない。どっちかっていうと、初めてお会いした時に、失礼な言い方だけど、腫れ物に触るような感じですよ。だってどう接していいかわかんないですもんね。今まで接したことがないからってことですよ。で、先ほどのお話の中で、ビラを配ったりとかしながら、自分たちでヘルパーを、大学生の方だったり、心ある方々に広げていきながら、確保してきたとお話されてましたけど。その時のお話でも、まるで自分たちを、まるで UFO が通ったかのように見ると。どうしてかっていうと日常的に見てないし、接してないからってことですね。私も同じだったんですよ。おそらく今日、記者会見で来てくださってる記者の多くの方々も、何から聞いていいかわかんないですよね、おそらく。 前々から予告されてればどういうリアクションというか、何を聞こうかってことは設定できるけど、いきなり登場してきて、この方に対して何を聞けばいいかってことに対して、やっぱりちょっと最初、一歩踏み出すのって難しいですよね。

すべては分けられてきたことが原因なんだということを、私はあの、木村さんから教えていただいて、だからもう、出会ってしばらくしてからですね、そういうことを教えていただいてから。あ、この人、国会に要るじゃないか、と思ったわけですよ。もう、早い段階ですね。だから、まだ自分自身で旗揚げをするってことを決めてない2年前くらいから、木村さんには、有事には一緒にやって欲しい、っていうことをお話してたんですけど、でも、有事って、全然そんな、まだまだ、まだ来ないんでしょって。あ、確かにそうですねっていうような。だから前もっては、あの、もし私が自分でやる時がある時には、あの、木村さんにもぜひ出ていただきたい、ということはお話をしてたんです、はい。で、その間、ずいぶん長いあいだ時間が経って、今回またお話をさせていただいたと。

で、あの、玉城デニーさんが掲げられてた、誰も取り残さないという部分に関しては、恐らく、デニーさんも同じ考えだと思います。同じ考えの、その進化系というよりかは、同じ考えのもとに誰一人取り残さないってことを実践していこうと。私は選挙という部分も使いながら、たまたま今回、自分で旗揚げすることができましたから、その中で自分でやっていこうということを、やったっていう話です。ありがとうございます。他ございますか? あ、ありがとうございます。じゃあ、ちょっとそのまま手を挙げといてください。壁際です。

記者:
フリーのヨコタハジメですけども。安倍総理、安倍政権に対して、障がいを持つお立場として、これは許せないとか、おかしいって思ってる事をお伺いしたいのが1点と、自民党の国会議員でも障がい介護問題に取り組んでる議員は多いと、いると思うんですが、そういう方と今までどういうお話をされたのか、あるいはこういう、国会議員に出てみないかというような話があったのかどうか、2点についてお伺いしたいんですが。

木村英子:
私ですよね? 安倍総理には会ったことがないので。そうですね。安倍総理に会ってどうっていうよりは、やっぱり今の福祉政策があまり良くないので、もし私が仮に国会に出た時に、まぁ出れたらですけども、国会の中をバリアフリーにして欲しいなって思っています。それくらいですかね。

記者:
自民党の国会議員の方とは、何か話をしたことはありますか?

木村英子:
いや、自民党の方とは。地元で議員をされてる方と、ご挨拶程度はしたことありますけども、特に深く話したことはありません。はい。

山本太郎:
ありがとうございます。他、ございますか? あれ、ちょっと貸してくださいね、ありますか? どうぞ。

記者:
木村さんに、まずひとつ伺います。来年、オリンピックとパラリンピック、東京で行われるということで、東京の街、この国も変わりつつあるのかもわからないんですが、どういう風に変わってきているという風に、木村さんの目からは、目には映っているんでしょうか。

木村英子:
変わってきて?

記者:
障がい者の方々にとって、暮らしやすい街に変わってきているという実感はおありでしょうか。

木村英子:
そうですね。あまりないですかね、変わってきたっていうのは。やっぱり権利条約に批准したりとか、国がですね、(障害者)差別解消法ができたりということで、公の場所で障がいを持ってる人たちを理解しようっていう働きかけはあるので、そういう意味では、表立って差別をするってことは少なくはなったかもしれませんけど、現状は、やっぱり外に出にくいですし。ヘルパー制度にしても、通勤通学は認められてませんから、あくまでも家の中の介護ですかね。で、外出も多少は認められてますけど、やっぱり通勤通学が認められないってことは、社会参加ができないじゃないですか。働くってことは、どなたにとっても当たり前のことですし、それ以前に、地域に出れないっていう現状が、まだあるので。変わってきたとは思いますけれど、今から40年前とはちょっと違いますが、それでもまだまだ課題はたくさんあると思います。

記者:
ありがとうございます。山本代表に伺います。これまでの候補予定者の方々、はすいけ(透)さん、昨日のやすとみ(歩)さん、今日の木村さん。それぞれ、例えば、地域の現実であるとか、原発の問題、拉致の問題、生きづらさ、子どもたちが大事にされてない、で、今日は、当事者抜きにして物事が決められている。すごく、私たちが普段目をやってないことに、図らずも、ちょっと踏み込んだ方々が登場してこられているような気がするんですけども。山本代表としては、その候補予定者の方を決めるにあたっては、候補予定者の方々、それぞれの人ってのがまずあったのか、さっき言ったような、その問題っていうことを代表が考えていく中で、今回の人選に繋がったのか、ま、両方かって気もするんですけども、候補者の方々を決めるにあたって、代表の中でどういった思いが錯綜してる中で、決まっていったのかってことを改めて伺えますでしょうか。

山本太郎:
ありがとうございます。候補者を選ぶにあたって、100%同じということは無理だと思ってます。例えば、人によっては私のこの「れいわ新選組」という名前はどうなのかと言われる方もいらっしゃいます。全然問題ないんですよ。あの、名前、嫌いなままどうぞ一緒にやってくださいっていう話ですね。で、私のあの掲げている8つの緊急政策に対して疑問を持っているって方がいらっしゃっても全然問題ない、話し合っていきましょう、私はこれが今、必要だと思ってます、というスタンスなんです。

例えば、やすとみさんの、これまでやられてきた経済学っていう分野では、ひょっとしたら、言い方は間違ってるかもしれないけども、脱成長という部分から、違う価値観、脱成長っていう感覚にとらわれるかもしれないですよね、他の人から見たら。要は、もう成長し続けることなんて無理なんだ、だから違う価値観をもって、人間の原則に戻るべきだって考え方がある。これは今、私が言っている経済、経済政策というものとはちょっと、なんだろうな、衝突し得るもの、衝突し得るものとも言えるかもしんないんですけれども。でも、その経済学っていう部分では、私はやすとみさんっていう部分に関して、経済学っていうものを通して、やすとみさんに対してラブコールしてるわけじゃないんですよ。生きづらさというものをずっと実感されてきて、それに対して分析をされてきて、それをどう変えていくんだという部分に対して、私はこの人になってもらいたいと思ったことですね。私は、自分の考えている経済政策っていうものを推し進めるつもりですね。

で、そのように、ひとつひとつ見ていけば、違いもあるだろうっていうことです。その人となりであったりとか、これまでやってこられたことだったりとか、今、本当にこの国に必要な部分って考えた時に、それぞれの当事者ということになっていくってことですね。おそらく。でも、その人となりと、その政策部分というか、当事者っていう部分に関して、多分、こう離れることはないと思うんですけどね、ええ。当事者であり、そして人となりに、親近感を持ったりとかっていう部分がセットにならないと、なかなか難しい部分なのかなと思いますけど。セットで、そういう気持ちになったという部分なんですかね。 

あの、先程、木村英子さんの方から、40年前と今とは全然違う、けれども、今、今も決して十分ではないんだ、というお話ですよね。要は、昔は施設に押し込められていた。ま、もちろん、今も、当時、同級生だったりとか、同じ施設で育った人たちは、今も施設に居続けるって方もいらっしゃいますけど。40年前と違って、今は、施設から地域にっていう動きも出てきてるということですね 。でも、地域に戻ってきてるけれども、例えば、先ほど言われた、24時間で介助だったり、介護を受けてらっしゃる方は、通学できない、通勤もできない。じゃあ、外出できる時って何だ?っていったら、必要なもの買いに行く時ぐらい。何かつったら、人間としての尊厳、守れるような生活じゃないんですよ。施設から地域に戻っても、閉じ込められたまんまだってことなんですよね 。バリアフリーって言いながらバリアの中に居続けてるのが、私達なんですっていうことを、数年前に聞いた時に、本当にショックだったっていうか。何も知らなかったんだな、自分は、っていう気持ちになったってことですね。 

先ほども言いましたけど、私にとって、その、重度の障がいを持たれた方というところに道を開いてくださったのが、木村さんですね。私の先生です。 ぜひ、この方には国会に行っていただいて、合理的配慮と言いながら、合理的配慮の意味も理解せず、国会の中にもそれを全く進めないというような今の政治に対して、やっぱり、当事者が必要だと。もう、いてるだけでいいと思います、私は。究極を言えば。もちろん、先ほど言った通り、木村さんは理路整然と省庁とも対峙できる方です。 それを前に進めようという能力のある方なんですけれども、究極を言えば、私は存在してくれるだけで、国会の中が、合理的配慮を進める、オリンピックのホスト国として。利用する時だけかってことですよ。オリンピックとパラリンピックだっていうことをやるときだけ、表側だけやるけれども、実際はそうじゃないだろってことですね 。

っていう思いを持ってたんですけど。先日、木村さんに、何度か話し合いをした時に、でも私が出馬することによって、太郎さん叩かれないんですかってことを聞かれたんですね。「私が? え? どういうことですか?」ってことを聞いたら、障がい者を利用してってことを言われたりしないですか?っていうことをおっしゃったんですよね。私からしたら、上等ですって話なんですよ 。

障がい者を利用して障がい者施策を変えていけるっていったら、それ以外ないだろってことなんですよね。 

すごくハードルの高いことですよ、選挙に挑戦するってことは。でも、そこに勇気を持って、1歩踏み出していただいたっていう、この勇気、絶対に無駄にしないようにやっていきたいなというのがあります。 他、ございますか?  大丈夫ですか?  何か言い残されたことだったり、付け加えたいことあれば。

木村英子:
大丈夫です。

山本太郎:
大丈夫ですか?  というわけで、ありがとうございました。


※最善を尽くしておりますが、なるべく早く皆さまにお届けすることを優先するため、若干の誤字脱字はご了承ください。


政権とったらすぐやります・今、日本に必要な緊急政策

ぜひご覧ください!
https://reiwa-shinsengumi.com/policy/


参院選は7月21日(日)が投票日です。
既に期日前投票日は始まっています。

東京選挙区の方は、1枚目の黄色い紙に「野原ヨシマサ」と書いてください。
※東京に住んでいない方は、東京在住のご家族・お友達・会社の方・お知り合いに伝えてください。

2枚目の白い紙、比例代表は全国どこからでも投票できます。
比例代表には「れいわ」と書いてください。

ご家族・お友達・会社の方・お知り合いに、一人でも多くこのことを伝えてください。
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