【文字起こし&動画】奥田ふみよ(福岡県選挙区)次期参院選 れいわ新選組 候補予定者 発表記者会見 2022年3月28日 福岡県庁

山本太郎:
はい。すいません。続いてですね、れいわ新選組の参議院の福岡県選挙区からですね、立候補予定者、皆さんにご紹介したいと思います。えっと、この方です。奥田ふみよと申します。奥田さんお願いします。ありがとうございます。れいわ新選組の参議院での福岡選挙区候補予定者となります。奥田ふみよと申します。それでは奥田さん、皆様にご挨拶のほうをお願いします。

奥田ふみよ:
あ、すいません。皆さん、よろしくお願い致します。この度、政治にれいわ新選組よりチャレンジさせていただく、奥田ふみよと申します。よろしくお願い致します。私が今回、政治にチャレンジする理由は、本当に子どもを中心にした社会にしたいんです。子どもは社会の未来です。でもその子どもたちが守られていないっていうのが、この日本の現実だと私は思っています。本当に子どもが安心して笑って暮らせる社会にしたい。そして当たり前に子どもが大事にされる、大切にされる社会にしたいんです。そのために私は教育を変えたいです。

私は6年前からでしょうか、6年前から、理不尽で人権上問題のある校則を廃止する活動をずっと行ってきています。私自身、3人の育ち盛りの子どもがおります。そしてですね、50人の子どもたちを教えるピアノの講師、そういう仕事をしております。そういう暮らしの中で、自分の子どもやピアノの生徒さんたちから毎日のように、学校で受ける理不尽な強制ルール、校則にですね、苦しんで声も上げられずにもう行き場を失ってしまっているっていう、そういう姿を目の当たりにして、すごくショックを受けたんです。で、その問題と向き合えば向き合うほど、この問題って日本が抱えている問題の縮図だなっていう風に思ったんです。

で、例えばなんですが、この強制ルール、例えば例を挙げますと登下校時に校舎に向かって敬礼を強制させたりだとか、宿題を忘れた子たちの名前をフルネームで模造紙で書いて、それを廊下に貼り出すだとか。あとは給食時間たったの15分です。それでその15分、クラスの子達全員食べ終わるまで教室を出てはいけない。なので食べ終わるのが遅い子はみんなにいじめられて学校に行けなくなる、だとか。あとは下級生が上級生の教室の前の廊下を歩いてはいけないっていう、なんか謎のルールがあったりだとか。もう枚挙に暇(いとま)がないんですね。で、この問題の根源っていうのはなんなのかな?って考えたときに、私はここまで教育現場に余裕をなくさせた政治にこそ、大きな問題があるという風に私は気付いたんです。

で、この日本っていうのは、教育に本当にお金をかけていません。教育にお金をかけるどころか削り続けてきたっていうのが今の日本です。教育支出っていうのはOECD、経済協力開発機構、先進国34カ国中、日本は最下位、それが3年連続続いてます。日本の政府は教育に全くお金をかけていないんです。そのしわ寄せが教育現場に向かって、そしてそこで一番立場の弱い子どもたちが苦しむっていう、そういう状況を生み出しています。で、先生たちも教員の方たちもね、朝7時から夜10時まで働きづめに働いても、保護者たちの対応とか、あとテストの採点とか、その他諸々は業務外。で、業務外だし、それと教員の半数以上の方々が過労死ライン超えて残業を強いられていたりだとか、そういう現実なんですね。だから教員の方が一人ひとりの生徒と向き合うためにもですね、私は本当に今、5兆円の教育費の予算を積極財政使って、国債発行して、大幅に教員の数を増やして、そしてひとクラス20人までの少人数学級にして、そこから学校教育法っていうのを改正して、全国一律でこの理不尽な校則、そして人権上問題のある校則、合理的な説明がつかない校則っていうのをもう一斉に廃止したいと思います。

私が政治と深く向き合うきっかけになりましたのは、11年前の東日本大震災、東電原発事故を受けてからです。その当時、私は東京に住んでいました。それで3人目の子どもがお腹の中にいて臨月でした。その頃の私っていうのは自分のことにしか興味がない、自分が楽しければいい、選挙にだって気分でしか行かないような、本当に愚かな人間で愚かな母親でした。生きてて当たり前だと思ってたし、国はなんかあったときには守ってくれるんだろうとも思ってました。思い込んでました。でもその東電原発事故を受けたときに見せた政府の対応っていうのは、それを見て「はっ、この国って、私たち国民を守る気、さらさらないんだな」っていう風に私は気づいたんです。その瞬間に子どもを是が非でも守りたいと思ったし、一緒に生き抜きたいと思ったし、その途端に私、体中をそのとてつもない危機感が、もう、危機感がこみ上げてきて、その瞬間にアイデンティティが変わったんです。そこから政治ってなんだろう、国家ってなんだろうっていうことを、毎日のように自分に問いかけています。

その事故を受けて、原発事故を受けて、私の生まれ故郷の福岡に子どもを連れて避難し、そして糸島に住み始めました。それからほどなくして国は玄海原発再稼働という暴挙に出て、本当に私は怒りでもう、怒りが収まらずに、生まれて初めて「再稼働差し止め要請書」というのを書いて、仲間と共に佐賀県と糸島市に提出しました。そして記者会見もしました。そのときにたくさんのことを言われました。「いや、原発はね、再稼働したらいかんとよ」って、「でもそんなね、市民が何言っても変わらんし、言ったところで。しかも言ったら何言われるかわからんけん、もう怖くてなんも言えんちゃんね」とか、それとか「女のくせに何ができる」と、「ただの母親がね、しゃしゃり出やがって」って。まぁ、こういうことをたくさん言われました。

今回、ただの母親が、ただのピアノ講師が、こうやって政治にチャレンジすること自体、多くの方々が非常に滑稽に思われることでしょう。でもね、考えて欲しいんですよ。政治家ってそんなに、そんなに特別な仕事なんでしょうか? 市民の感覚とかけ離れた政治家たちがこの国牛耳って、なんかこの国、マシになったでしょうか? 政府の地震予測ではね、30年以内に80%の可能性で確率で大型の地震が来ると発表してます。もし南海トラフ沖地震が来れば、国の総被害額は171兆円という数字も出ていて、これは東日本大震災のこれ10倍の数字、そこに重ねて原発事故がひとたび起きてしまえば、過酷事故が起きてしまえば、もうこの国は壊滅します。だから即時すべての原発を禁止するしかないっていう風に私は思うんです。年間8000億円の原発関連の予算をですね、すべて自然エネルギーのほうに促進するような方向に変えれば100%自然エネルギーでこの国の電力賄えるんです。そのことに関しては、れいわ新選組がもう重ねて重ねて政策で訴えてあるところです。

国っていうのは、そこに暮らす人々の命を守るためだけに、生命を救済するためだけに役に立つことだけをすればいいんです。そんなに難しいことなんでしょうか? それは。私はそんなことないと思います。1年生のピアノの生徒さんに私、聞いたことあるんです。「6歳のあなたは100円のお菓子買ったとしても、この国って6歳の女の子から10円の消費税取るんだよね。あなたはその集めた消費税で何に使ったら一番いいと思う?」って聞いたらその子、すぐ答えました。「私はお菓子買えるけんいいけど、買えん子もおるけん、そのお金で集めて買えん子に買ってあげたらいい」っていう風に言ったんです。小さな、小さな子どもの心の中に、正しい本当の政治っていうのがあるんです。私たち今、大人だけど、みんな昔、子どもだったんですよ。だから一人ひとりの心の中に、正しい真っ当な当たり前の政治っていうのを知ってるんですよ。だから私は変えられると思うんです。

私、今回、れいわ新選組からお声掛けをいただいて政治にチャレンジする理由っていうのは、そういう当たり前で愛のある政治に変えたいって本当に強く思うからです。血の通った政治がしたいんです。それでこの国で本当に困っている人や苦しんでいる人や、一番立場の弱い人や、一番立場の弱い子どもたちのために全力で政治で支えたいんです。そう強く思うんです。だから、こうやって勇気を振り絞って、ただの母親ですが、ただの街のピアノ講師ですが、勇気を振り絞って今、ここでお話しさせていただいています。以上をもちまして、私の決意表明とさせていただきます。ありがとうございました。

山本太郎:
ありがとうございます。奥田ふみよからの訴えでした。というわけで続いては皆さんから、奥田でも山本でもご質問いただき、それにお答えをさしていただくというような形をしていきたいと思います。で、1点だけ。年間8000億円、この原発に使われるようなお金を自然エネルギーに振り向けるということに関して100%をそれで賄えるという趣旨の話がありましたけれども。ここに関しては、今、これは移行期だと思ってます。移行期というのは、当然、この100%回せるようになるまでの間は私たちは化石燃料、これでその中でも環境負荷が少ないと言われている天然ガスというものを中心に回していく必要があるという風に思ってます。すぐに100%という形は今のところ無理ですから。加えて、この移行していく間、要は繋ぎの火力として天然ガスを使っていっている間にも、例えば今のような戦争、そういうような事象によってその調達というものが不安定になるときがあるならば、これは私たちは石炭火力ということも視野に入れていく必要があると思っています。ただし、2030年に石炭火力、これをゼロにするという方針はゴールは動かさずに、そういった合間で必要なときには稼働もさせるという柔軟性を持った上でのエネルギーの転換というものを考えてることを付け加えさせてください。それでは皆さんのほうからどうぞ。

記者:
幹事社の共同通信のヒダと申します。あの恐縮なんですが、本題に入る前にですね、報道、今日、各社原稿を出すにあたって基本的な経歴等のちょっと確認だけさせてください。奥田さん、ふみよさん、これ、ひらがなはこれ、戸籍上というか、本名でふみよさんはひらがなでしょうか? 漢字を教えていただけますか? 

山本太郎:
すいません。そのやりとり一番最後でもいいですか? 

記者:
わかりました。

山本太郎:
はい。すいません。で、基本的にはこの名前のほうはひらかせていただくということでお願い致します。ひらがなにさせていただくってことですね。「漢字をひらく」っていう風に選挙の話では言うんですけど、はい。ひらがな表記でお願い致しますということです。で、その細かいプロフィールの確認については後ほど写真を撮るような状態ありますよね。記者会見終わって写真を撮るといったところの段階で、お時間を見つけていただいて、そこで確認をしていただくと。申し訳ないです。ありがとうございます。

記者:
すみません。幹事社の西日本新聞が続けさせていただきます。先ほど参院選の出馬の件については、れいわさんのほうからお話いただいたということでしたけれども、そのあたりを詳しく教えていただけますか。

山本太郎:
ありがとうございます。出馬に関する経緯ですね、立候補予定者となるその経緯をっていうことだったんですけれども、今回はですね、奥田さんのほうから立候補したいということを言われたわけではないです。私から立候補しませんか? ということを投げかけました。で、そもそもの始まりは私たちが1月の後半にですね、福岡市内でおしゃべり会といいますか、そういうようなみんなでボランティアの皆さんだったりいろんな人たちと話し合うみたいな場を作ったときにですね、奥田さんのほうから直接、私はそのときにみんなに質問してもらって答えるというやりとり、Q&Aをやってたんですけども、奥田さんのほうから質問いただいた。子どもたちのその校則の問題ですね。彼女が6年間取り組んでいるっていう、人権侵害ともいえる校則の問題をお話しいただいて、そのやりとりをさせていただいたところで私がちょっと印象に残ってまして。で、他にもこの福岡選挙区から出たいですっていう人たちはいらっしゃって、面談とかも始まってたんですけれども。彼女とも一度面談をしてみたいということで、後日、そういうような形になり、で、ぜひお願いしたいということになりました。

記者:
すみません。もう1問だけ続けさせていただきます。ということはそのおしゃべり会での奥田さんの印象が強く残り、山本代表からお声掛けしたという。

山本太郎:
その通りです。

記者:
産経新聞のオザワと申します。よろしくお願いします。代表にお伺いしますが、福岡県現在の政治状況を見ると、衆議院含めてかなり保守王国というか自民党が強い県ですけれども、今回の参院選で福岡選挙区っていうのはれいわにとってどういう位置づけなんでしょうか? 

山本太郎:
ありがとうございます。当然、福岡っていうのは私たちにとっても大切な土地でございます。で、何よりも全国で見てみて、先の衆議院選挙では九州というところにおいても私たちが可能性、この先々に議席をいただけるという可能性がある土地だということがわかったと思います。実際に衆議院では(議席は)取れなかったんですけれども、比例でもあと少しというところまで迫っている状況だと思います。で、やはりこの参議院っていうところにおいても、特に福岡、九州の中でも中心的な土地である福岡において、やはり私たちと繋がっていただく方々を拡げていく。もちろんこれは運動として立てますというつもりはないです。当然、その「選挙に出ます」という限りは1議席をいただきに全力で戦うというつもりです。ただし、私たちはその数々いるチャレンジャーの中でも一番、なんだろうな、一番、チャレンジャー的ポジションから今回の選挙を戦わなければならない存在だということは自覚しています。なんとしても、これまでれいわ新選組に託してくださった九州の仲間たち、で、福岡の仲間たちと力を合わせていきながら、さらにこの福岡県内でもれいわに託していただけるという力を拡げていく、そのつもりです。

記者:
すいません。西日本新聞のカネコです。また山本太郎代表からお話いただいたときの話にちょっと戻って恐縮なんですけれども。そうやって奥田さんがですね、これまで政治とかっていう、なかなか意識する、まぁ東日本大震災で移住したことがあるにしても、山本太郎代表からチャレンジしませんか?っていうお話いただいたときの思いを教えていただけますか? 

奥田ふみよ:
お声を掛けていただいた瞬間はびっくりしました。なんで私?って。なんですけど、その瞬間に「出たい」と思いました。それはなぜなのかはその時はわからないけど、出たいと思ったんです。でも理由としてはやっぱり私、子ども3人いるんだけども、もう子ども3人お産させてもらったら、どこの子もかわいいんですよ。で、本当にこんな国(を)残したまま、この状況を残したまま、私、子どもたちにこの環境を残したまま死ねないなと思ったんです。だから生かされてる間に、ひとつでも何かその理不尽な、暮らしの中に理不尽がすごい、もう、たたみかけてきている、そういう状況をひとつでも潰していきたいと思ったんです。壊していきたいと思ったんです。その手段として、このお声を掛けていただいたっていうことを真摯に受け止めて。逃げるのは簡単なんですよ。いや、無理ですって。だけど、私、目的はひとつなんです。本当に教育を変えたいし、子どもたちに笑って暮らして欲しいんです。その目的のために、こういうお声掛けをいただいたっていうことを無視できない。そしてチャレンジしようと思ったんです。はい。

記者:
西日本新聞のクロイシと申します。山本代表にお伺いします。他の九州の残りの6県の1人区なんですけども、ここについての候補者の擁立のお考えをお聞かせください。

山本太郎:
ありがとうございます。1人区に関して擁立という部分ですね。特に九州でってことだと思うんですけれども。可能性はないわけではないです。各県からは立候補したいという方々の応募はあります。で、そこに踏み込むかどうかということに関しては、もうそろそろ判断しなきゃいけない時期には来てると思うんですけれども、全くないわけではないです。はい。

記者:
1人区なので野党の候補者調整というところも課題として挙がってくると思うんですけども、そこは他の野党と調整されるお考えはあるんでしょうか。

山本太郎:
先日、立憲民主党の泉さんがご挨拶に来られたときには、軽く1人区のことは触れられてました。なので、「出しますよ」っていうことが本当に私たちの中で一歩踏み込みますってことがあるんだったら、それはもう宣言しちゃっていいと思ってます。ただし、その後に協議に応じないという姿勢はないと思います。やっぱり協議はするべきだろうという風に思います。一本化できれば一番いいですから。はい。

記者:
先ほど山本代表のお話の中で一番チャレンジャー的なポジションから挑戦していくということだと思うんですけれども。参院選まで期間が限られている中で具体的にどういった活動、ま、票を取らないといけないわけなんですが、どういった活動を中心にして当選を目指すのかという戦略的な部分を教えていただけますでしょうか。

山本太郎:
ありがとうございます。もう戦略っていっても特別な選挙戦略なんてないですよね、どの党も。つまりは何かっつったら、もうスタンダードの戦い方以外ないんですよね、選挙って。後はまぁ「総理からです」と封筒にお金を入れて配るくらいの戦略しかないんじゃないですか? 特別なものといったら、皆さんご存じのところで。だからそう考えると、地味なと言いますか、コツコツとということで。そのコツコツ部分に関しましては、れいわ新選組が旗揚げされてから、九州のボランティアの皆さん、福岡でのボランティアの皆さんは拡げる活動ということをずっとやってくださってます。例えばポスター貼りであったりとか、チラシをポスティングしたりとか、横に拡げていくっていうことを日々やってくださっています。なので他党のように組織的にお金を使いながら大々的にということはできないんですけれども、自分たちの範囲内で、できる範囲でそれぞれが拡げていくっていう元々の私たちの草の根的な活動というものは継続され続けているところです。で、ここに候補者として奥田さん、今日発表させていただきましたので、さらにこれが参議院の候補者として、予定候補者としてさらにその活動を拡大させていく。で、私ももちろんそこに参加をしていくってことですね。ゴールデンウィークからは全国を回るような、私自身の全国街宣みたいなことが始まるんですけれども。当然、この福岡であったり、九州っていうところにおいて、その活動を少し厚めに入れていくということも考えてます。そういう形でリンクをしていきながら拡げていくということですね。そのような形です。

司会者:
他ございますか? 

山本太郎:
ありがとうございます。奥田本人のほうからですね、「私のような、一主婦が、私のような一(いち)ピアノ講師が立候補することを皆さん滑稽に思うかもしれません」という言葉がありましたけど、私、全くそう思わないんですよ。何かっていうとプロを名乗る政治家たちがこの社会をどうしてきたかってこと考えて欲しいんです。どの政党に託したとしてもたぶん厳しいです。どうしてかっていうと世の中は30年以上壊れ続けてるから。所得の中央値も108万円、25年で下がってんですよ。で、日本衰退し続けてるんです。その現場を担い続けてきたという政治に、政治の中にいる政党や政治家たちに私は託せるとは思ってない。この社会を変えれるのは、この社会に憤りを感じ、危機感を持つ、私は、そういう人々が立ち上がることだと思ってます。

そういった意味で、奥田さん、私のおしゃべり会というところに来てくださって、やりとりをしたときに非常に熱を感じました。で、後日やりとりをしてみたいと思ってZoom等でやりとりをさせていただいたときに、彼女の中には大きな怒りがあるんですよ。その怒りっていうのはこの壊れてきた社会に対して政治に対して。で、子どもたちに対して非常に苦しい現実を与えてるっていう。彼女の目から見たたくさんの生徒たちを通した、で、自分たちの子どもたちの目を通した現実なんですよね。地獄みたいな社会が目の前に、子どもたちの目の前にあるっていうことは、これを変えられるのは政治しかないけども、政治にそれを変える意思がないということ。そこに対して変えなきゃいけないという大人たちに余裕がないこと。彼女の中に大きな怒りがあるんだけども、その根源はやっぱりそれ愛情なんですよね。母としての愛情。で、子どもたちと関わっているピアノ講師として深い愛情を感じて、その熱量で私は多くの方々に政治家の上から語られるようなこと、難しい言葉だったり硬い言葉で語られるような政治に関する話。そつがないような、何か演説で拡がっていくような話ではなくて、やはり生活者目線。地べたにしっかりと足をつけて物事を見て感じてという目線からの、福岡市民の皆さんへの訴え、福岡県民の皆さんへの訴え、九州の皆さんへの訴えっていう部分が、私はこれ最大化させる必要があるんじゃないか、まさに政治の原点じゃないかってそう思ってます。なので、奥田さんを私は「出てください」ってことをお願いしたっていうのが経緯です。最後にその話をして締めくくりたいと思いますけど。最後に一言、皆さんに。何でもいいです。「よろしくお願いします」でもいいです。(笑)で、締めてもいいですし。はい。奥田さんのほうからあれば。

奥田ふみよ:
もう先ほどお伝えした通りです。とにかく私は命がある限り、絶対に諦めません。何を諦めないかというと、何度も言いますけど、この国の教育を変えます。それだけです。よろしくお願い致します。

山本太郎:
ありがとうございます。以上をもって記者会見を終わらせていただきたいと思いますが、この後写真を撮ったりとかっていうことですかね? これ誰が仕切りますか? うちで仕切りますか? よろしくお願いします。ありがとうございました。

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