【声明】やまゆり園事件10年に寄せて:「私たち抜きに私たちのことを決めないで」(れいわ新選組2026年7月26日)

2016年7月26日、神奈川県立津久井やまゆり園で19人の尊い命が奪われ、27人(神奈川県相模原市HP参照)が重軽傷を負いました。犠牲となられた方々に改めて心より哀悼の意を表するとともに、ご家族、ご友人、関係者の皆さまに深くお見舞い申し上げます。
やまゆり園事件から10年が経ちました。障害のある人の命を否定し、優生思想に基づく差別と憎悪の犯罪でした。しかしこの10年間、国は事件の背景にあった優生思想とそれに基づく障害者を分けて同じ地域社会で生きづらくさせている政策について、正面から検証していません。厚労省の検証チームで議論はありましたが、最終的にやったのは、措置入院された精神障害者が退院した後の管理を強めることのみでした。


人類の「悪質」な遺伝を淘汰し、人間の命に優劣を付ける優生思想は、過去のものではありません。事件を起こした植松死刑囚の「意思疎通ができない障害者は生きている意味がない」といった露骨な言葉にだけ、現れるものでもありません。むしろ生産性や労働能力によって人間の価値を序列化し、働けない人、社会の役に立たない人は社会に存在する意義がないという意識はより強化され、優生思想は社会のさまざまな場面で、姿を変えて存在しています。


障害の種類とその程度によって子どもを分ける分離教育。「尊厳死」法制化の動きや、救命・集中治療における生命維持治療終了・差し控えのためのガイドライン策定など、患者や障害者に命の線引きを持ち込もうとする動き。胎児の障害や病気の有無を調べる出生前診断も拡大され、旧優生保護法による強制はなくとも優生思想を広めているとしか思えません。


具体的な政策の形にはなっていなくても、優生思想と地続きの考え方は、私たち一人ひとりの中に強固に根を張っています。より多くの支援を必要とする障害者を地域社会から切り離し、支援の名の下に施設や特定の場所に集める発想。支援を必要とする人に対して「自立できていない」と評価する価値観。そして、人の価値を生産性や効率によって測ろうとする社会の風潮。


このような考え方のもとですから、福祉や社会保障への予算や資源の投入は不十分です。慢性的な人員不足のもとで、障害福祉や介護の現場は疲弊しています。「老老介護」や「老障介護」も深刻化しています。介護や支援を必要とする人への暴行や虐待も後を絶ちません。


やまゆり園事件は終わっていません。この事件を、障害者の入所施設という特殊な場で、異常な人物が起こした凶悪犯罪として片付けてしまえば、私たちは身近に潜む差別や排除の構造を見失ってしまいます。このままでは、第二、第三のやまゆり園事件が起きかねません。


国連・障害者権利委員会は日本政府に対して、津久井やまゆり園事件について優生思想と能力主義克服の観点から包括的に対応することを求めています。


問われるべきは、施設からの地域移行を掲げながら、家族に責任を負わせて障害者が地域で当たり前に生きられる社会参加の仕組みをつくらず、施設収容を継続してきた国の政策です。そして入所施設に重度障害者を追いやり、地域社会で見えない存在にしてきた私たちの社会のあり方です。

「私たちのことを、私たち抜きに決めないで」――障害者運動の原則は、優生思想を乗り越える出発点です。今の日本の政策決定の場には、当事者参画が圧倒的に足りません。


れいわ新選組は、重度障害のある議員を国会に送り込んだ、初の日本の政党です。当事者参画の重要さを、身をもって感じてきました。命の価値は横一列、どれほど重い障害があっても、どれほど多くの支援を必要としていても、その人の命と尊厳は等しく守られなければならない、と発信し続けてきました。

私たちはこれからも、事件の背景にある差別と優生思想に向き合い続けます。政府には、優生思想の観点からやまゆり園事件の再検証をするよう、求め続けます。そして、障害の有無にかかわらず、誰もが必要な支援を受けながら地域で暮らし、学び、働ける社会の実現のために、「私たちのことを、私たち抜きに決めないで」を掲げ続けます。

2026年7月26日
れいわ新選組


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